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衝撃のラストとデヴィッドの行動〜脚本の魅力

本作の脚本の一番の魅力といえば、やはり衝撃のラストだろう。最後の最後に、ある取り返しのつかない過ちを犯してしまうデヴィッド。この絶望感あふれるラストは鑑賞者の胸に深く突き刺さること間違いなしである。

何を隠そう、この映画版のラストはダラボンの完全オリジナル。原作版では深夜のモーテルで眠る少年の横で手記を記しているデヴィッドが、「ホープ」という町に人が避難しているという情報をラジオから得るシーンで終わる。

フランク・ダラボン監督(2008年ロサンゼルスにて)
フランクダラボン監督2008年ロサンゼルスにてGetty Images

なお、原作者のキングも映画版のラストは賞賛しており、「誰もがポリアンナエンディング(ハッピーエンド)を望んでいるわけではない」と述べている。

さて、このラストについては「完全無欠のヒーローであるデヴィッドも、判断を間違えることがある」と思う人が大半かもしれない。しかし、本作を改めて見返してみるとある事実に気づくことだろう。実は彼の行動が多くの犠牲を生んでいることに。

例えば、最初の犠牲者である店員のノームは、そもそもデヴィッドに裏口に来るように促され、そこで触手の餌食になっている。また、中盤、大量の虫型のクリーチャーがスーパーの中に侵入してくるシーンでは、「ライトは緊急時のみ点灯する」というデヴィッドの忠告をジムが忠実に守ったことが引き金となっている。

さらに、この時に重度の火傷を負ったジョーを救うためにデヴィッドたちは隣の薬局に薬を取りに行くが、結局ジョーは亡くなってしまった上に、新たな犠牲者が生まれている。つまり、ラストの悲劇は、こういった判断ミスの延長線上にあるものなのである。

加えて、デヴィッドが「宗教狂いのイカれ女」と罵っていたカーモディの判断が、実は極めてまっとうな判断だったという事実も皮肉である。

決死の覚悟で外に出ようとする彼らを止めようとする彼女。確かに彼女の「信者」たちによりジェザップは亡くなってしまったものの、デヴィッドが間接的に生んだ犠牲者よりははるかに少ない。

私たち鑑賞者は、主人公であるデヴィッドの行動から作中の世界を見ているため、彼の行動があたかも正しく、あたかもカーモディが悪者であるかのようにミスリードされてしまう。

人間にとって善悪とは一体何か、そんな問いに思いを巡らさずにはいられない脚本である。

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