ペドロ・アルモドバル、ニューヨークをマドリーで撮る。映画『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』評価&考察レビュー
第81回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した、巨匠ペドロ・アルモドバル監督最新作『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、安楽死を望む女性と彼女に寄り添う親友が過ごす数日間を描いた物語だ。作品の細部に着目したレビューをお届けする。(文・荻野洋一)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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【著者プロフィール:荻野洋一】
映画評論家/番組等の構成演出。早稲田大学政経学部卒。映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」で評論デビュー。「キネマ旬報」「リアルサウンド」「現代ビジネス」「NOBODY」「boid マガジン」「映画芸術」などの媒体で映画評を寄稿する。7月末に初の単著『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ』(リトルモア刊)を上梓。この本はなんと600ページ超の大冊となった。
観る者をハッとさせるティルダ・スウィントンのセリフ
スペインの鬼才ペドロ・アルモドバルがアメリカ人俳優と組んで初めて英語で撮った長編映画『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』の中に、非常に印象的なシーンがある。末期癌をわずらって死期が近いことを悟り、安楽死を決意した戦場ジャーナリストのマーサ(ティルダ・スウィントン)が、古い友人である小説家のイングリッド(ジュリアン・ムーア)に付き添いを依頼し、2人で賃貸別荘に到着したこともつかの間、闇サイトで購入した毒薬を荷物に入れ忘れたことに気づくシーンである。
あした取りに帰ればいいではないかというイングリッドの言葉をさえぎって、すぐに引き返そうというマーサの願いどおり、2人はもと来た道を車で辿り直す。マーサのアパートメントに戻った時には、すでに窓辺に西陽が差しこんでいる。あるじを失ったはずの空間は、皮肉にも生気に満ち、洗練されたインテリアに資料や書物が整理され、キッチンにはフルーツが食べきれないほど籠に盛られ、ベランダには観葉植物が繁茂している。
旺盛な恋愛遍歴を語ってはいたものの、現在は一人暮らしとなったマーサは、おそらくベランダに面したこの窓を開け放ち、ニューヨークの風と騒音とともに時間を過ごすのを好んでいたにちがいない。
もう2度と帰らない決意で出発したはずが、半日後にこの部屋に戻ってきた。見慣れた窓外の風景をあらためて眺めて、マーサは言う。「死後の世界みたい」。イングリッドは「幽霊になるのはまだ早い」と抗弁するが、死を決意した友との駆け引きは、ここ数日間、こんなぐあいの冗談とたしなめの繰り返しである。
気心の知れた友どうしの短い会話にすぎないが、見ている私たち観客は虚をつかれて、はっとするだろう。なぜなら達観した表情で窓辺に立つティルダ・スウィントンは、スクリーン上で本当に幽霊に見えるからである。『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』(2017/デイヴィッド・ロウリー監督)のケイシー・アフレックの同類にしか見えない。あるいはウィリアム・ディターレ監督『ジェニィの肖像』(1948)のジェニファー・ジョーンズの同類に。
ただし、今回アルモドバルが試みているのは、マーサの死に不承不承ながらも付き添い、古い友人の最期を、いわば小説家の視点を死守しながら見据えようとするイングリッドの行動記録であって、マーサの存在はあえて客観的に言わせてもらうなら「映画の登場人物」であり、ヒッチコック映画の住人に近く、作り手にとってはあくまでフェティッシュな観察対象である。
シーグリッド・ヌーネスの原作小説『What Are You Going Through(あなたはどんな思いをしているの?)』の邦訳が刊行されたばかりであるが(桑原洋子訳、早川書房、映画公開に合わせて『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』という邦題で刊行)、この小説は付き添った女性の一人称で書かれており、マーサは小説内では名前さえ与えられておらず、単に「友人」「彼女」とのみ呼ばれる。