桐谷健太に生きる力をもらった… 『いつか、ヒーロー』が伝えたかったこととは? 最終話考察&感想レビュー【ネタバレ】

text by 西田梨紗

桐谷健太主演のドラマ『いつか、ヒーロー』(ABCテレビ・テレビ朝日系)が現在放送中だ。本作は、20年間消息不明だった謎の男が、夢を失くした若者達とともに腐った大人を叩きのめす不屈の復讐エンターテインメント。今回は、最終話のレビューをお届け。(文・西田梨紗)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】

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人は負けても、何度でも立ち上がれる

『いつか、ヒーロー』最終話©ABCテレビ
『いつか、ヒーロー』最終話©ABCテレビ

「人は何にでもなれる」というけれど、私たちはその言葉を信じてもよいのだろうか。筆者も子どものころには、努力をすれば夢は叶うと信じていた。しかし大人になるにつれ、そう単純な話ではないことを痛感する。夢を追い求めるよりも、流れに身を任せるように生きた方が楽だと思ってしまうときもある。

 そんな諦念のような感情は、誰にでも芽生える。勇気(宮世琉弥)も、まさにその渦中にいるようだった。彼は、誠司(桐谷健太)にこう問いかける。

「負けるとわかっていて なぜ無謀な戦いを? 長いものに巻かれなきゃ痛い目に遭う。戦っても 誰も手を差し伸べてくれない 冷たい水の中 凍えていくだけです」

 私たちは人生のどこかで負けを経験し、己の無謀さを思い知る。誰も助けてはくれない現実の冷たさに触れる。すると次第に、“長いものに巻かれる”生き方に甘んじてしまうのだ。

 だが、誠司は違った。彼は、長いものに巻かれて自分を殺すような生き方を「反則」だと言い切る。社会の理不尽さや厳しさを知る者にとっては、そんな誠司の言葉は、きれいごとのように響くかもしれない。自分を守るために選んだ道を否定された気持ちになり、「この生き方しかできない」と自己弁護したくもなる。

 それでも、誠司の姿を見ていると、「生きるとは、負けては立ち上がることの繰り返しなのだ」と心から思える。彼は、父が会社を騙し取られて自殺したという壮絶な過去を背負い、社会の冷酷さを誰よりも知っていた。そんな彼が外資系ファンドの“ハゲタカ”としてのし上がったのも、復讐と生き残るための手段だったのだろう。

 しかし、自分の仕事が多くの人々を傷つけたと知ったとき、誠司は立ち止まり、罪悪感と向き合った。そして、希望の道の園長・司(寺島進)が差し伸べた手を受け取り、再び“人として”の生き方を取り戻したのだ。

 さらに誠司は、過去に公威(北村有起哉)の手が掛かった者に襲われ、20年間もの昏睡状態に陥った。それでも彼は諦めず、懸命なリハビリの末に奇跡的な回復を遂げる。そして今度は、公威によってナイフで刺されながらも命をつなぎ、再び笑顔を見せていた。
 
 幾度も絶望に叩き落されながら、それでも生きることを手放さずに立ち上がり続けてきた誠司の姿は、「生きる気力さえあれば、人は何度でも立ち上がれる」と、語りかけているようだ。

苦しみが生んだ歪んだヒーロー観と真のヒーロー

『いつか、ヒーロー』最終話©ABCテレビ
『いつか、ヒーロー』最終話©ABCテレビ

 筆者の主観ではあるが、他人から傷つけられたダメージは、他者に対する期待が大きい人や、臆病な人、夢想家気質の人ほど深くなるように思う。

 公威の手によって“ダークヒーロー”に変貌した勇気は、まさにそのような繊細さを持ち合わせた人物だった。人の心に敏感で、教え子の中でもひときわ大きな夢を抱いていた彼は、誠司に対して誰よりも信頼を寄せ、心から案じ、長きにわたって手紙を書き続けていた。何より、「俺はヒーローになる」という揺るぎない思いを強く抱いていた。

 公威もまた同じだ。彼の思想や行動には到底賛同できないが、幼い頃に父親から見捨てられた過去や、決して癒えぬ傷を心に抱えて生きてきた。その痛みがあったからこそ、社会的弱者である勇気たちに対して、歪んではいるが確かな“関心”を寄せ続けていたのだろう。

 心のない人間には、父の言葉に深く傷つくことも、弱き者の胸の内を理解することもできない。公威がそれをできていたということは、彼の中にもまた、消し去れない孤独と繊細さがあった証左ではないだろうか。

 私たちの多くは、雑誌の表紙を飾ったり、世間から称賛を浴びたりといった華やかな成功とは無縁の人生を送るかもしれない。だがそれでも、誠司のように誰かにとっての“家”や“ヒーロー”になれる可能性は誰にだってある。
 
 誠司の教え子たちのように、かけがえのない仲間として誰かの心に存在し続けることもできる。あるいは、海斗(駒木根葵汰)のように、職場の先輩から愛され、頼りにされる後輩になることだってある。
 
 たとえ社会の中で“小さな存在”だと見なされたとしても、私たちは誰かにとっての光になれる。

“私”を肯定してくれる誰かがいれば、この先も生きていける

『いつか、ヒーロー』最終話©ABCテレビ
『いつか、ヒーロー』最終話©ABCテレビ

 誠司は公威のナイフが身体に刺さり、生死の境に立たされる状態で、大切な教え子たちに語りかけた。

「大したことねえよ こんなん お前らの苦労に比べたら…[中略]マネできねえわ、俺には。色んな目に遭って、それでも頑張って…すげえよ、みんな」

 誠司自身も並大抵ではない苦労を経験してきた。しかしそんな自分の過去さえ「大したことない」と語り、教え子たちの努力や痛みに対して深い敬意を示すその姿に、彼の真の強さと優しさがにじみ出ていた。

 現代社会では、どれだけ頑張っても、その努力が正当に認められないことが多い。苦境にある人々は「自己責任」だと突き放され、傷を訴えても「つらいのはあなただけじゃない」と流されることもある。

 だが、厳しい状況下だとしても、たった一人でも「あなたのがんばりを知っている」「あなたはすごい」と心から認めてくれる人がいたら、人はなんとか生きていけるのかもしれない。

 人は誰しも「何者かになりたい」ともがいている。けれど、本当は社会的な成功や称賛ではなく、自分の存在を心から認めてくれる誰かを望んでいるのではないだろうか。無条件で帰ることのできる居場所があれば、人は何度つまづいたとしても、また立ち上がれるはずだ。

 本作が描く誠司の生き様、そして桐谷健太が体現するその懐の深い演技は、視聴者に確かな温もりと希望を届けてくれる。筆者もまた、画面越しに差し出されたその手に、生きるエネルギーをもらった。

【著者プロフィール:西田梨紗】

アメリカ文学を研究。文学研究をきっかけに、連ドラや大河ドラマの考察記事を執筆している。社会派ドラマの考察が得意。物心ついた頃から天海祐希さんと黒木瞳さんのファン。

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【了】

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