「細部を描けぬヒーロー映画に世界は託せない」山田剛志(映画チャンネル編集長)|映画『スーパーマン』マルチレビュー

公開中の話題作を4人の評者が“忖度なし”で採点する新企画「映画チャンネル」マルチレビューがスタート! 今回は、映画『スーパーマン』を徹底レビュー。果たしてその評価は? 点数とあわせて、本作の魅力と課題を多角的に掘り下げる。※評価は5点満点とする。(文・編集部)

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細部を描けぬヒーロー映画に世界は託せない

山田剛志(映画チャンネル編集長)

【採点評価】2点

 
 街ごと吹き飛ばしかねないヴィランの攻撃からスーパーマンが身を挺して守るのは人間のみならず、より小さきものにまで及ぶ。サム・ライミ版『スパイダーマン』も死傷者ゼロを行動指針にしていたが、街に生息する小動物の命にまで想像力は及んでいなかった。

 にもかかわらず、本作が『キングコング』(1933)以来連綿と続く空想科学映画の「惨劇のイマジネーション」(スーザン・ソンタグ)を刷新するどころか、凡百のスーパーヒーロー映画と大差のない出来栄えに収まっているのは、映画を構成する最小単位である一つひとつのショットに対する作り手の配慮が、スーパーマンが街に息づく様々な命に向けるそれとは比べ物にならないほど、繊細さを欠いているからではないか。

 例えば、序盤、瓦礫に押し潰されそうになる直前でスーパーマンに救助される少女は、なぜあんなにも無防備に道の真ん中に立ち尽くしているのか。一瞬しか映らないとはいえ、その表情はあまりにも緊張感を欠いていなかったか。人間を描くことよりもスペクタクルを優先していないか。あるいは、ロイス・レイン(レイチェル・ブロズナハン)が自宅に戻った際、彼女は人の気配を感じて即座に木製バットを手に取るが、恋人が訪れている可能性は一度も頭をよぎらなかったのだろうか。もしそうだとしたら、あの芝居は果たして妥当だろうか。

 どれほど巧みに時代性を取り込もうと、大きなものを描くために、小さなことを蔑ろにしている映画に、世界を変えるような力を期待するのは難しい。

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【了】

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