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宮崎駿が描く戦争ー脚本の魅力

© 2004 Studio Ghibli・NDDMT
© 2004 Studio GhibliNDDMT

本作には、原作に登場しない決定的な要素が登場する。それは「戦争」だ。

宮崎は、作品の制作にあたり、原作の世界観にいかに「現代性」を盛り込むかに腐心していたという。そこでテーマとしたのが、2001年に起きたアメリカ同時多発テロだった。

作中では、被弾した軍艦が港に到着するシーンから戦争の匂いが色濃くなっていく。そして、遂にハウル自身のもとに召集令状が届き、彼自身が自ら戦闘機となって戦い、徐々に心を失っていく。こうした描写に、近代の総力戦を想起する人も多いことだろう。

「この作品は一種のホームドラマといえます。動く城の中のマイホーム。そこへ戦争がおこるのです。おとぎ話の戦争ではありません。個人の勇気や名誉をかけた戦闘ではありません。近代的な国家間の総力戦です。

ハウルは徴兵はまぬがれているようですが、戦争に協力することを求められます。動く城のドアのひとつがある港町にも、ソフィーの生家のある町にも、王宮にも、荒地そのものにも、火が降り、爆発がおこり、総力戦のおそろしさが現実のものとなっていきます」(『ジブリの教科書13 ハウルの動く城』より)

しかし、戦争が描かれることで脚本のクオリティが上がっているかといえば、正直首を傾げざるを得ない。どの国とどの国が戦っているのかも明示されていないし、戦争の目的がなんなのかも明示されていない。もっと言えば、ソフィーの行動も整合性が全くとれておらず、支離滅裂な印象は否めない。

こうした問題や矛盾については宮崎自身自覚的なようで、インタビューで次のように述べている。

「難しいテーマだから、悪役をやっつけて終わり、主人公がニッコリして終わり、ではすまなくなった。深いところにテーマを探るうちに通常の娯楽映画の枠組みに構っていられなくなり、結果、非常にややこしい作品になった」(「YOMIURI ONLINE ベネチアを振り返って【下】宮崎駿監督がハウルを語った」より)

なお宮崎駿は、事前にシナリオを書かずに絵コンテを描きながら話を膨らませていくことは有名だが、プロデューサーの鈴木敏夫も、本作では一向に話がまとまらないことを危惧していたという。

とはいえ、(好意的に見れば)むしろそうした破綻こそが本作の魅力だともいえるのかもしれない。

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