「内面に入っていったら全世界と繋がっている」映画『箱男』石井岳龍監督、単独インタビュー。幻の企画が実現したワケ
text by 山田剛志
戦後を代表する小説家・安部公房が1973年に発表した長編小説『箱男』は、1997年に監督・石井聰亙(現・石井岳龍)、主演・永瀬正敏という座組で製作が決まるも、クランクイン直前で頓挫。そんな幻の企画が、27年前と同じ監督・主演のコンビによって映画化にこぎつけた。メガホンをとった石井監督に作品にかける思いを伺った。(取材・文:山田剛志)
※この記事では映画の結末部に言及しています。
「現在を新気楼のように眺める」
安部公房の小説に抱いたシンパシー
写真:浜瀬将樹
―――今回、石井監督念願の企画ということで、安部さんのテクストと徹底的に向き合って、小説の世界観をいかに映像と音響で表現するのか、突き詰められた作品になっていると思いました。『箱男』を最初に読まれたのはいつでしたか?
「大学生の時です。当時は映画化したいとは思っていなくて、本気で考え始めたのは『逆噴射家族』(1984)を作った後くらいですかね」
―――安部公房は元々好きな作家だったのでしょうか?
「私はなぜか中学生ぐらいから日本の文学作品が読めなくなってしまったんです。ただ例外はあって、SF小説と詩は読んでいました。日本の純文学の中でも、安部さんの作品はSFとして読める側面があり、日々の生活とか常識を覆してくれるところがあって、とても好きだったんです。特に短編をたくさん読みましたね」
―――石井監督がこれまでお撮りになった映画と安部さんの小説には、観客や読み手の知覚に変容を促すような部分や、都市に向ける乾いた眼差しに共通点があるように感じます。表現者としてシンパシーがあったのではないでしょうか?
「もちろん、あります。安部さん特有の“砂漠の思想”と言ったらいいでしょうか。荒野を眺めるように街を見つめる目ですよね。実際、東京だってかつて空襲で完全に焼け野原になったわけです。現在を新気楼のように眺める、全てを幻影として見てしまうようなところが私にもあるので。安部さんの場合、砂や壁、あるいは箱といった象徴的な物質を通して最底辺から世の中と人間を見ているっていう感じがしますよね。そこは非常に共感するところです」