不自然なアクションが想起させるもの
さらに、関連してもう一つ気になるのは、吉井が通販サイトに商品をアップした後の奇妙な行動だ。どういうわけかカメラは、彼が出品を行うたびに、商品の表示されたサイト画面から目をそらさない吉井の表情を反復的に捉える。通販サイトに出品を行ったことがなくても想像がつくように、出品した商品が売れたかどうか、長時間にわたって画面を睨み続けるような人間は実際にはいないだろう。
逆に言えば、このきわめて不自然なアクションは、ある時点から全く理由のはっきりしないままに商品が次々と売れ始める加速の瞬間を、持続のなかで強調するために導入されたと思しい。
まず、本物か偽物かに関係なく、たまたま視界に入ったもののなかから、素早く品物を選び出して仕入れ、それを丁寧に撮影する。次に、撮影した素材を通販サイトにアップし、その様子を凝視し続ける。ディスプレイを眺める吉井は、ほとんどカメラの手前に位置する映画監督を思わせる持続のただなかで、まるで手札に入りこんだジョーカーを他の人間に押しつけるように、「あっという間に」商品を売ってしまう。
速度と持続に彩られたアクションの連続が、やがて「一度作動してしまったら決して止めることのできない」「死の機械」の発動※を想起させる加速を経て売り切れという断絶へと至る。本作における転売の過程をこう捉え直してみると、対象を選別して撮影し、そこから利益を生み出す吉井の仕事は、ほとんどジャンル映画の製作のように見えてくる。
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※ 黒沢が偏愛する「死の機械」については、『黒沢清の恐怖の映画史』などを参照。関連して、クリーニング工場で働く吉井が操作するのが、「死の機械」の代名詞と言って良いトビー・フーパー『マングラー』(1995)の洗濯用プレス機を小ぶりにしたような機械であることは、終盤の展開を予告する伏線となっているようにも感じられる。