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クラガリでしかできない体験

©塚原重義/クラガリ映畫協會
©塚原重義クラガリ映畫協會

物語の中盤は、装甲列車隊と福面党との戦闘シーンだが、この場面だけで行動・口調から各キャラクターの性格を読み取れるのがすごい。余計な説明がなくとも、十分に理解できたし、60分という短い尺でも一人ひとりのキャラクターにちゃんと愛着が湧く。

もし続編があったら、キャラクターの背景などによりフォーカスしたエピソードを描くのも面白いだろう。しかし個人的にはこのくらい余白があったほうが、映画的で楽しいと思っている。各キャラがどんな人生を歩んできたか、一緒に観に行った友だちと好き勝手に感想を述べ合うのも楽しいだろう。

さて、この作品のキーフレーズは「クラガリに曳(ひ)かれるな」だ。作品のなかで何度も登場するセリフである。

『クラユカバ』では「クラガリ」というエリアが登場し、主な舞台となっている。戦後の闇市みたいな、無法者が多く、秩序が保たれていないエリアだ。

逆説的にいうと「クラガリは魅力的だよ」という前提があったうえで「引っ張られるなよ」と告げている。個人的にはこの「クラガリの魅力」を全面に出していることが、攻めていて好きだった。

いま、世間はだいぶ綺麗になっている。コンプラが超厳しくなり、オフラインもオンラインも正しいことばっかりが目に映るようになった。「叩かれるから」とか「炎上するから」みたいな不自由な話は、もう芸能人だけの話題ではない。

一方で、そんな美しい世界に若干の気持ち悪さを覚える人も多いだろう。筆者なんかはそうだ。人間はそもそも理性100%のロボットではない。光も影もある生き物であり、時にはクラガリを覗いてみたくなる。

「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というニーチェの言葉を思い出したりして「だめだめ。引き返して私」と思いつつ、そーっと影のほうに足を伸ばしてみたりする。で、ミイラ取りがミイラになることもある。

でも個人的には「自由に欲望のままにクラガリを訪れたり、住み着いたりしてもいいんじゃないか」なんて思う。荘太郎がタンネと出会ったように、クラガリでしかできない体験が意外と一生ものになったりして、それはそれで豊かなことだ。

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