「自分探し」という明確な終わりのない旅
1979年、ワシントン州の田舎町でレコーディングされた一枚のアルバム「Dreamin’Wild」。
アーティスト名は”ドニー&ジョー・エマーソン”。ジャケット写真は農機具が置かれている納屋で母親に見守られながら、父親が撮影したものだった。
”ドニー&ジョー・エマーソン”も、アルバム「Dreamin’Wild」も実在する。本作はドニーと彼の家族であるエマーソン一家が辿った、驚くべき実話を元に「アメリカン・ユートピア」「ブローバック・マウンテン」などの製作総指揮を務めたビル・ポーラッドが8年振りに監督・脚本を務めた長篇映画だ。
「Dreamin’Wild」はドニーが家族に支えられ、情熱を注ぎ込んで作ったアルバムだったが、世間からは見向きもされず、夢に手が届くことはなかった。
それから30年後。思い描いていた夢からは程遠い人生を送っていた彼は、ある日、自分たちのアルバムがコレクターにより発見され、”埋もれた傑作”として人気を博していることを知る。
思いも寄らない成功に父も母も、そして兄も喜ぶが、ドニーは目を背けてきた過去や感情と向き合うことになる――というが本作のあらすじである。
「私は”アイデンティティ”や”自分は誰なのか”をテーマに作品を撮り続けている」とビル監督は本作のインタビューでも答えている。
「わたしは何者なのか」
現代においては普遍的とも思える問い掛けだが、”アイデンティティ”すなわち”自我”という概念が確立されたのは近代に入ってからの話だ。日本においては明治以降である。
それまでは一部の特権階級を除いて、人間の一生はシンプルだった。地球という惑星に生まれた誰もが、次の世代に命を繋ぎ、その役目を終えたら大地に還っていく。地球という惑星を構成する一部になっていく。他の動物たちと同じだった。他に選択肢はなかった。「わたしは何者なのか」。「わたしは何の為に生きているのか」。そんな苦悩は存在していなかった。
いわゆる”近代的自我の確立”がわたしたちの人生を複雑化かつ多様化させた。「わたしは何者なのか」という自己探求。「わたしは何の為に生きているのか」という自己実現。多くの若者が「自分探し」という明確な終わりのない旅に出た。