「夢」という言葉に込められた多様な思い
最大の悪夢はデュオを再結成した兄との軋轢だ。夢破れたものの音楽とともに生きて来たドニーと林業を生業としている兄の音楽的ブランク。そこで浮き彫りになっていくのが、監督がテーマとしている”アイデンティティ”すなわち”近代的自我”を巡る兄弟間の齟齬だ。
音楽を通じて「わたしとは何か」を追い求めてきたドニーと違い、兄にとって音楽は弟と一緒に楽しむレクリエーションでしかない。久し振りのセッションで兄は清々しいくらいに音を楽しんでいる。そこには自己探求も自己実現もない。父の農場で林業を営んでいる兄は木を伐り、ログハウスを建てることに人生の喜びを見出している人物だ。その姿は近代以前の人間のシンプルな生き方をそのものでもある。
30年越しで脚光を浴びたアルバム「Dreamin’Wild」。それはエマーソン一家の夢の象徴だったが、タイトルにもある「夢」という言葉に込められた思いはドニーと、兄と、そして父親とではそれぞれ違うものだったのだ。
兄が弟とのバンド活動に思い描いていた夢とは? そして多くのものを失っても父がドニーの夢を応援し続けた理由とは? クライマックスでそれぞれの口から語られる「夢の貌」は切なくてほろ苦い。「家族の絆」を感じさせる兄と父の言葉は、自己実現という夢に囚われ、家族を顧みない人生を送るすべての挑戦者の胸に突き刺さることだろう。
夢を見なくちゃとポップソングは歌う。夢はいつの日か実現すると。しかしながら、多くの人にその歌が届いている時点でそれは夢を実現させた一握りの表現者の成功体験と言えなくもない。その足下には夢半ばで挫折した者がいる。叶わぬ夢に縛られ苦しみ続ける者がいる。自分探しという終わりなき旅の途上で自分を見失ってしまった者がいる。それでも人生に夢は必要なのだろうか。
「わたしとは何か」。近代的自我の確立はわたしたちにしあわせをもたらしたのだろうか。自己探求。自己実現。その手段となる夢。人生において自己を実現する為の多様な選択肢を獲得した先進国ではもれなく少子化が進んでいる。自殺者も増えている。どちらもただ生きているだけで良かった時代にはなかった社会課題だ。地球という惑星に生まれた誰もが、次の世代に命を繋ぎ、役目を終えて大地に還っていく。ただそれだけでよかった時代には。
”アイデンティティ”や”自分は誰なのか”をテーマに作品を撮り続けているビル監督が8年振りにメガホンを撮った本作は現代を生きるわたしたちに「それでも人生に夢は必要なのか?」と逆説的に問い掛けてくる。「夢はいつの日か実現する」と歌い続ける、ポップミュージックを題材に。30年越しに夢を実現させた、「Dreamin’Wild」という実在のアルバムを題材に。
(文・青葉薫)
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