鮮烈な色彩設計とゴダールの死

ザ・ルーム・ネクスト・ドア
©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.©El Deseo. Photo by Iglesias Más.

 友の死を真摯に看取ろうとするイングリッドの真心は、「書く」という同じ行為を生業としてきた女性どうしの連帯行動の最終形をなす。女性どうしの連帯は『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)以降のアルモドバルがなんども描いてきた事柄であるが、そこに鮮烈なパレットの色彩を乗せつつ、欲望の発露をあきらめない点がアルモドバルらしい。

 じっさい、独特な赤毛にクリムゾンレッドのコートがとても映えているジュリアン・ムーアは、ニューヨーカーという属性を保ちながらも、アルモドバル映画のスペイン人俳優陣の同列に語られうるだろうし、緑のジャケット、赤のセーター、青のマフラーなど、色彩という色彩が画面内における生命の律動を表現してやまない。そして、いよいよ最後のシーンでティルダ・スウィントンは黄色の衣裳に真紅のルージュを塗って、スペインの国旗色をみずからの身体に刻みつける。

 月刊ユリイカ2025年2月号「特集*ペドロ・アルモドバル」でスペイン語文学者の柳原孝敦氏は「ゴダールの話ではなく、パトリック・ジャンヌレの話だ」と書いているが、それはちょっと違うだろう。2024年の春にロケーション撮影が決行された同作にジャン=リュック・ゴダールの(合法的)安楽死の衝撃がこだましていないと考える方が不自然である。マーサ=スウィントンは、ゴダールの好戦的自己消滅と、癌で逝くデイヴィッド・ボウイーの両性具有的ルックが、アルモドバルの脳内イメージでメランジュ(フランス語で「混合」の意)されたキャラクターだろう。

 これはあくまで筆者の推測にすぎないが、シーグリッド・ヌーネスの原作小説を大胆に脚色したこの映画の最大の悩みどころは、マーサとイングリッドの間にレズビアンとしての愛情を描くかどうかだったような気がしてならない。20代の時にマーサと別れたあとにイングリッドと付き合った男性の元恋人デイミアン(ジョン・タトゥーロ)をやや遠目の位置に介在させることによって、マーサとイングリッドの関係が単なる同志愛であり、シスジェンターの物語であることが強調されているが、逆にその強調ぶりがアルモドバルの思考の揺らぎを証拠立てているように思える。

 というのも、この映画で描かれる最も美しい愛は、若き日のマーサが戦場取材中に出会ったスペイン人のカルメル会修道士(ラウール・アレバロ)と彼の若い助手(パウロ・ルカ・ノエ)の愛だろう。死と隣り合わせの戦場で恐怖を克服する最も効果的な方法はセックスなのだとマーサは知る。

 カルメル会修道士は「私は人々とともにいる」と繰り返し述べていた。これは戦時下に生きる現地市民のかたわらに寄り添って、彼らのために働き、彼らのために祈る、という聖職者としての使命にとどまらず、戦場の極限性こそゲイとしての愛を全うするのにふさわしいハレの舞台だという宣言でもあるだろう。

1 2 3
error: Content is protected !!