登場人物の心理の襞を冷徹にすくい取るアルモドバルの至芸
カルメル会修道士の思い出話をマーサから聞いたイングリッドは、作家的探究心が頭をもたげ、マーサとともに賃貸別荘で過ごす数週間を、静かな戦場として研ぎ澄ませることに決めたのだろうと筆者は推測する。イングリッドとマーサの最期の会話では、数々の固有名詞が取り沙汰され、すでに「隣の部屋の扉」という小説の執筆準備が始まったかのようだ。
ドーラ・キャリントン(画家)、リットン・ストレイチー(評論家/ゲイ)、ヴァージニア・ウルフ(小説家・評論家)、ジェイムズ・ジョイス(小説家)といった英米語圏の芸術家たちが招喚され、ロベルト・ロッセリーニ(『イタリア旅行』)、バスター・キートン(『セブン・チャンス』)、マックス・オフュルス(『忘れじの面影』)、そしてジョン・ヒューストン(『ザ・デッド 「ダブリン市民」より』)といったアルモドバルの宝箱に入った映画作家たちが援用される。
職業的冷徹さをもって数年後に書かれるはずのイングリッドの新作「隣の部屋の扉」は、上記のような固有名詞の跋扈によって華麗に修飾されつつ、生と死のはざまの数週間をヒッチコックの細心さをもって描き出すにちがいない。「あなたの取材日記を読んでもいい?」と聞くイングリッドに、マーサはもちろんいいよと答え、「どうせ私はもういない」と言い添える。まんざらでもないのである。マーサ自身が書き手としての生を全うしようとしている以上、自分が小説のサスペンス対象として復活する日をまんざらでもない気分で待ちたい心境だろう。
そうした心理の襞まで冷徹にプレパラートにすくい取ろうとするアルモドバルの老練さは、もはや世界のどの映画作家も及ばぬ境地に達しつつある。ただし、断っておきたいのは、かつて『ブロークバック・マウンテン』(2005)の監督依頼を断ったアルモドバルが満を辞して実現させたアメリカ進出第1作である『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、実のところアメリカ人スター2名を起用した英語劇ではあっても、れっきとしたスペイン映画なのである。
彼の兄弟プロダクション「エル・デセオ」製作による同作は、ニューヨークの街景、冒頭のサイン会のリゾーリ書店、およびニュージャージー州のリゾート地区のロケーションを除けば、マーサのアパートメントもイングリッドのアパートメントも、マーサが入院した病院も、メイン現場となる賃貸別荘も、その周囲の森林も、すべてマドリー市内および市内から車で1時間の別荘街サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアルで撮影された。かつて1960年代から70年代にかけて西部劇がスペインの荒地で撮影されたのと同じように、ここではニューヨークおよびその近郊と称して、あっけらかんとアルモドバルの庭のような空間がカメラで切り取られているのである。
(文・荻野洋一)
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