本作に投影されたダイナ・O・プスイッチ監督自身の経験

映画『終わりの鳥』
©DEATH ON A TUESDAYLLC/THE BRITISH FILM INSTITUTE/BRITISH BROADCASTINGCORPORATION 2024
 

 ダークファンタジーであり、時にブラックコメディでありながら、生と死について深く考えさせられてしまうのは、監督であるダイナの死生観が色濃く投影されているからだろう。シングルマザーに育てられ、変性疾患で亡くなった友人の死。監督自身の10代前半でのパーソナルな経験が本作の下敷きになっているとライナーノーツにも書かれていた。友人の死を前に何もできなかった自分に対する虚無感。監督のダイナと「誰も死から逃れることはできない」と囁く〈DEATH〉が重なって見える。10代で死ななければならなかった友を救いたかった。それを映画表現で成し遂げることでしか自分を救うことはできない。その切迫感が彼女にこの作品を創らせたのだと感じた。
 
 本作には監督が友の闘病生活で垣間見たであろう母親の苦悩も描かれている。シングルマザーであるゾラは働きながら娘の闘病を支えている。ただでさえ互いに素直になれない母と思春期の娘の壁。そこに娘の早すぎる死を受容しなければならないという難題が重くのし掛かっている。ゾラの苦悩を思うと「娘さんともっと一緒にいてあげて下さい」という看護師の思いやりが無神経とすら感じられる。
 

 そのゾラの本音を吐き出させるのが皮肉にもデスだ。驚きつつも可笑しみを感じたのは、死を目前にした当事者にだけ見えているとばかり思っていたデスの姿がゾラにも見えていることだ。娘の耳の中に隠れていた(彼は自分の大きさを変幻自在に変えることができる)デスにゾラは畏れ慄く。

「あんたは娘に別れを告げなきゃいけない。誰も死から逃れることはできないんだ」
 
 デスの言葉がゾラを覚醒させる。受け入れることができなかった娘の死が〈終わりの鳥〉として可視化されたことでそれを全身全霊で排除しようとする。そこで見せるゾラの行動は「母親は子を守る為なら鬼にでも悪魔にでもなる」という形容そのものだ。
 

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