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ゼロ・グラビティ 脚本の寸評

監督のアルフォンソ・キュアロンと、息子のホナス・キュアロンが共同で執筆した脚本は、良く言えば、ジェットコースター的な緊張感があり、エモーショナルである。一方、悪く言えば、展開はかなりご都合主義的であり、過度に情緒的で押し付けがましいところも。

アルフォンソ・キュアロン(右)と息子のホナス・キュアロン
アルフォンソキュアロン右と息子のホナスキュアロンGetty Images

ライアンが次から次へと危機に見舞われ、命からがら切り抜けていく過程は息詰まるスリルに満ちている。他方で、中国の宇宙船「神船」に乗り込んだ彼女が読めない中国語に惑わされ、当てずっぽうで脱出ボタンを探り当てるシーンなど、随所で行き当たりばったりな描写も散見される。

また、ライアンは過去に最愛の娘を亡くした女性として描かれ、虚無的な内面を持っている。こうした設定によって、生きる希望を放棄する中盤の行動が正当化され、夢に現れたコワルスキー(ジョージ・クルーニー)の助言によって気を持ち直す、終盤以降の展開が盛り上がる。つまるところ本作の物語展開は「生存欲求の希薄な主人公が、死と隣り合わせの環境に置かれることで生きる気力を取り戻していく」という側面を持っている。観客の共感をそそる、巧妙なストーリーラインである。

一方、本作ではコワルスキーを始め、多数の犠牲者が描かれるが、彼らは総じて、死にたくなかったにもかかわらず、生き延びることが叶わなかった者たちである。本作の物語展開がご都合主義的に見えるとしたら、キャラクターの意思ではなく、作者の思惑によって、登場人物の運命が決定されているのが丸わかりだからであり、作者の狙いが露骨に透けて見えるからではないだろうか。

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