ホーム » 投稿 » 海外映画 » 劇場公開作品 » 映画『イニシェリン島の精霊』は面白い? 忖度なしガチレビュー【あらすじ 考察 解説】

映画『イニシェリン島の精霊』は面白い? 忖度なしガチレビュー【あらすじ 考察 解説】

text by 吉田健二

『スリー・ビルボード』から5年、鬼才マーティン・マクドナー監督の新作映画『イニシェリン島の精霊』が全国の映画館で公開中だ。「すべてが上手く行っていた、昨日までは。」というキャッチコピーがいかにもミステリアス。今回は、本年度アカデミー賞で受賞が有力視されている本作のレビューをお届けする。(文・吉田健二)

美しい島を舞台に”退屈”が引き起こす静かな争い
アイルランド内戦が読解のキーポイント?

©2022 20th Century Studios All Rights Reserved

マクドナー監督は生まれも育ちもロンドンだが、実家はアイルランドだったことから文化的にはアイルランド系である。キャリア初期にはアイルランドを舞台にした演劇作品を数多く手がけており、アメリカを舞台にした前作『スリー・ビルボード』を経て、原点に回帰した作品と見なすことができる。

舞台は1923年、内戦が繰り広げられているアイルランド本土から、少し離れた場所にある孤島・イニシェリン島。木が一本も生えていない程の広大な大地に、美しく登る日、そして静かな海に囲まれる小さなこの島でも、起こって欲しくはなかった”不思議な争い”が始まってしまう。

島に暮らす素朴で優しい男のパードリック(コリン・ファレル)と、アイルランド民謡を自分で作曲し、バイオリンを奏でる音楽家のコルム(ブレンダン・グリーソン)は、長年友情を育んできた親友だった。何十年も一緒にパブでビールを飲むという日常を送っていた2人だが、ある日突然コルムから「他を行け、嫌いになった…。お前は退屈だ」と告げられてしまう。

©2022 20th Century Studios All Rights Reserved

あまりにも突然のことに納得がいかずパードリックはコルムに付き纏うが、「これからは君の無駄話に付き合うのを辞め、もっと自分の人生に向き合い、残りの人生の時間を思索や作曲に費やしたいのだ」と突き離されてしまう。

聡明な妹のシボーン(ケリー・コンドン)や、風変わりな隣人のドミニク(バリー・コーガン)の協力のもと、事態を好転させようとするが、コルムからは「もし俺に構うのなら、その度に指を一本切り落として、お前にくれてやる」と、絶交宣言は奇妙かつ過激な脅し文句に変化する。

©2022 20th Century Studios All Rights Reserved

本年度アカデミー賞では、作品賞をはじめ、主演男優賞(コリン・ファレル)、助演男優賞(ブレンダン・グリーソン)、助演男優賞(バリー・コーガン)、助演女優賞(ケリー・コンドン)、脚本賞(マーティン・マクドナー)、作曲賞(カーター・バーウェル)、編集賞(ミッケル・E.G.ニールセン)と、8部門にノミネート。最多ノミネートの『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』と共に、作品賞部門の最有力候補とされている。

「生きている間にいい作品を残したい。モーツァルトのように一生残るものを作りたい」と、理想の世界に生きるコルムに対し、パードリックは「モーツァルトのことなんか知らない人間だっている…俺だ。俺は自分のお母さんを覚えている。それはお母さんはいい人だったから」と返す、心優しき現実主義者だ。

両者が言い合うシーンでは、戦う姿勢を見せたパードリックに対して、コルムは少し退屈から抜け出せたような表情を見せたように思えたのだが、果たして筆者の思い過ごしだろうか。

©2022 20th Century Studios All Rights Reserved

サブキャラクターも魅力的だ。とりわけインパクトを放つのは、「精霊(バンシー)の声が聞こえたら死者が出る…」というアイルランドの神話を司る老婆の存在。彼女は死神のように随所で現れる。

本作では、登場人物全員がどこか”退屈”しているように見え、何かしら問題を抱えている。主人公のパードリックは心の優しい男だが、島で生き、動物を愛する優しく素朴な人間は、見方を変えれば単なる”退屈な人間”である。

死神を思わせる老女は、一見“平和で退屈な日常”に潜在している死の気配を濃厚に漂わせる。また、死の気配は“対岸の火事”として描かれる、アイルランド内戦にも見出せる。

実質的にイギリス傘下となることをやむを得なしとするアイルランド自由国軍と、イギリスからの完全独立を目指すアイルランド共和軍(IRA)が争ったこの内戦では、都市部ではテロが横行し、郊外ではゲリラ戦が行われ、多数の死傷者を出した。

©2022 20th Century Studios All Rights Reserved

暴力が吹き荒れる本土から離れた場所にあるイニシェリン島は、一見、完璧な美しさを保っているようにみえるが、内部では住民同士の“静かな戦争”が頻発している。“隣国”であるロシアが引き起こした戦争を対岸から眺めることしかできない我々日本人にとって、本作が描き出すドラマにはアクチュアリティがあり、他人事ではないと思わせられる。

一度観ただけでは、込められた寓意のすべてを掴みきることのできない本作。複数回観ることで、繊細な演出が醸成する、豊かな意味合いをじっくり噛みしめてほしい。

(文・吉田健二)

1月27日(金)全国ロードショー

【作品概要】
『イニシェリン島の精霊』
監督・脚本:マーティン・マクドナー
出演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン ほか
原題:The Banshees of Inisherin
全米公開:2022年10月21日  
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン 
2022年/イギリス・アメリカ・アイルランド 
©2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
公式サイト

1 2