日本芸能史に残る「伝説の記者会見」は? 記憶に残る名言(2)全てが伝説…国民がひっくり返った衝撃の宣言
2025年1月27日、中居正広氏の女性トラブルで揺れるフジテレビが10時間に及ぶ会見を実施、世間で大きな話題を呼んだ。このように記者会見は、企業や有名人の今後を左右する「一世一代の大舞台」となることが少なくない。そこで今回は、タレント・俳優が開催した名記者会見を紹介。悲劇の会見から抱腹絶倒の会見まで、詳しく解説する。第2回。(文:編集部)
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世間に衝撃を与えた伝説の「結婚引退会見」
山口百恵・三浦友和
憂いのある眼差しに哀感たっぷりの歌声、そして凛とした佇まい―。昭和を代表するアイドル山口百恵は、デビューから引退に至るまで、全てが伝説だった。
1972年、『スター誕生!』(日本テレビ系)への出演をきっかけに芸能界入りの切符を掴んだ山口は、翌年、和田アキ子主演の映画『としごろ』(市村泰一監督、1973)で女優デビュー。同時に歌手としてもデビューし、以降、映画にドラマに歌にと、あらゆるジャンルでヒットを飛ばしまくった。
そんな山口が世間をあっと言わせたのは、デビューから7年が経った1980年3月7日のことだった。『伊豆の踊子』(1974、西河克己監督)で共演を果たし、かねてより熱愛が噂されていた三浦友和との婚約を発表したのだ。
しかもメディアに会見の告知がされたのは、なんと会見の2時間前。メディア各社は、取るものもとりあえず、会場の東京プリンスホテルに集まった。
純白のドレスに身をつつみ、金屏風の前で結婚指輪を見せる山口。その姿はなんとも微笑ましく、会場はなんとも幸せそうなムードに包まれる。しかし、程なくして、山口の口から、誰もが予想だにしない衝撃的な発言が飛び出す。
「11月15日の挙式以降は、お仕事は全面的に引退させていただきます」
そして、引退の10日前となる1980年10月5日。日本武道館でファイナルコンサートの舞台に立った山口は、「本当に…私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」と言い残し、涙ながらに名曲「さよならの向こう側」を熱唱。続いてステージ中央にマイクを置き、観客に「約束なしのお別れ」を告げて一人舞台裏へと姿を消したのだった。
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