日本芸能史に残る「伝説の記者会見」は? 記憶に残る名言(3)「今度生まれ変わった時は…」号泣と戸惑いの一幕

text by 編集部

2025年1月27日、中居正広氏の女性トラブルで揺れるフジテレビが10時間に及ぶ会見を実施、世間で大きな話題を呼んだ。このように記者会見は、企業や有名人の今後を左右する「一世一代の大舞台」となることが少なくない。そこで今回は、タレント・俳優が開催した名記者会見を紹介。悲劇の会見から抱腹絶倒の会見まで、詳しく解説する。第3回。(文:編集部)

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世間の注目を一斉に集めた国民的スター同士の恋

松田聖子

松田聖子
松田聖子【Getty Images】

 1980年のデビュー以来、芸能界の一線を走り続けてきた永遠の歌姫、松田聖子。歌謡界のみならず、日本のJ-POP界を代表する彼女は、数多くの男性と浮き名を流してきた女性としても知られている。とりわけ有名なのは、郷ひろみとの熱愛だろう。

 芸能界デビュー以前から郷の大ファンだったという松田は、レコード会社が同じだったことから郷に急接近。デビュー翌年の1981年には、早くも複数のスポーツ紙が結婚を書きたてはじめ、世間の公然の事実となっていく。

 しかし、世間の声とは裏腹に、いつまで経ってもゴールインの報はなかった。そんな折、「松田聖子が緊急記者会見を開く」という一報がマスコミ各社に届いたのは、1985年1月のことだった。いよいよ結婚か―。そう直感し、東宝の砧スタジオに殺到する記者たち。しかし、松田は、開口一番、誰もが予想しなかった言葉を発する。

「好きで愛し合って別れるんだから…もし、今度生まれ変わってきたときは絶対に一緒になろうねって、言ったんですけど…」

 号泣しながらたどたどしく言葉を紡ぐ松田。つまり、結婚会見だと思っていた会見は、実は破局会見だったのだ。想像の斜め上を行く展開に戸惑う記者たち。しかし、「憎しみ合うのではなく、愛し合って別れるのだから」という言葉は、2人の気持ちがまだ繋がっていることを示していた。

 ところが、ここからさらに事態は二転三転する。記者会見から1カ月も経たないうちに、今度は松田と神田正輝との熱愛が発覚。あっさりゴールインまでこぎつけたのだ。この会見が行われた砧スタジオでは、ちょうど松田の主演映画『カリブ・愛のシンフォニー』(1985)が制作されており、出演者には、神田自身も名を連ねていた。

 なお、一杯食わされた郷は、会見の4か月後に行われた『サンデー毎日』での悠木千帆(後の樹木希林)との対談で、「絶対に一緒になろうね」という言葉は聞いていなかった、と語り、悠木と次のように会話を交わしている。

 郷:まさか女というのはそういうものじゃない、と思ってたでしょ。だから、なんか訳がわからなくなっちゃった。

 悠木:ハハハ、よくある話、ですよ。それがオンナ、なんでね。

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【了】

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