「月は要らない」終盤の台詞に込められた意味は? 映画『名もなき者/ACOMPLETE UNKNOWN』考察&評価レビュー

text by 冨塚亮平

名匠ジェームズ・マンゴールドが、主演にティモシー・シャラメを迎えて世界に送り出す最新作『名もなき者/ACOMPLETE UNKNOWN』が 公開中だ。歌手として初めてノーベル文学賞を受賞した天才・アーティスト、ボブ・ディランの伝記映画の魅力を解説する。(文・冨塚亮平)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】

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【著者プロフィール:冨塚亮平】

アメリカ文学/文化研究。神奈川大学外国語学部准教授。ユリイカ、キネマ旬報、図書新聞、新潮、精神看護、ジャーロ、フィルカル、三田評論、「ケリー・ライカートの映画たち漂流のアメリカ」プログラムなどに寄稿。近著に共編著『ドライブ・マイ・カー』論』(慶應大学出版会)、共著『アメリカ文学と大統領 文学史と文化史』(南雲堂)、『ダルデンヌ兄弟 社会をまなざす映画作家』(neoneo編集室)。

「より良いもの」と「違うもの」の差異

映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNWON』
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 教会での演奏をきっかけとしてシルヴィ(エル・ファニング)と知り合ったディラン(ティモシー・シャラメ)は、はじめてのデートで美術館に向かっていた。しかし、その途上である映画のポスターを目にした彼は、「これ観たことある?」と問いかける。ディランは、シルヴィに「ピカソは過大評価されてる」と告げるとチケットを買い、予定を変更して映画館へと入っていく。

 映画館で二人は、『情熱の航路』(アーヴィング・ラパー監督、1942)を観る。シルヴィは、映画のクライマックスで男が二本のタバコに同時に火をつけ一本を女に手渡すショットを目撃し、涙を流す。その後二人は中華料理屋でラストシーンの感想を語り合う。

 ベティ・デイヴィス(演じる主人公シャルロッテ)は内気な女性であり、自分自身を見つけるために支配的な母から逃れなければならなかった。ディランは、シルヴィによるこの一見的確な要約に納得がいかない様子だ。

 家を逃げ出し、美しくなり、恋に落ち、家に戻り、母を殺し、決して自分のものにならない男の子を引き取る。デイヴィスの軌跡をそうまとめる彼女に、ディランはすぐにこう反論する。彼女は、なくなった靴みたいに自分自身を見つけたんじゃない。ただ「何か違うもの something different」になっただけなんだ。負けじと「より良いもの something better」よ、と改めて主張するシルヴィにディランは、ダメを押すように再度「違う」ものだと強調する。

 偶然にも同時期にタバコをめぐる同じアクションを引用した『ANORA アノーラ』(2024)におけるロシア人の用心棒イゴールのケースとは異なり、ここで明らかにディランは、タバコを渡すジェリー(ポール・ヘンリード)よりもむしろ、タバコを受け取るデイヴィス演じるシャルロッテに自己を重ねているように思える。

 もちろん、ディランが実際にシルヴィのモデルとなった女性と初デートで『情熱の航路』(1942)を観に行ったなどという逸話は存在しない。同映画への目配せは、監督ジェームズ・マンゴールドと共同脚本のジェイ・コックスによる演出にすぎない。

 だが、主演のシャラメやファニングの証言によれば、驚くべきことにディラン本人が脚本の改稿に貢献した箇所があるのだという。彼は単に映画の脚本に目を通すのみならず、自身のいくつかのセリフについて修正を提案し、その案が採用された。だとすれば、ここでの「より良いもの」と「違うもの」の差異をめぐる決定的な解釈が、ディラン自身のものである可能性もないとは言えないだろう。

 じっさい、『名もなき者』(2024)が描くデビュー前からいわゆる「電化」までのわずか数年間の激動の日々において、まさにディランは同作のデイヴィス=シャルロッテのように、ただ「何か別のもの」へと変化し続けてきたのではなかったか。その軌跡を早足で振り返ってみよう。

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