すべてが美しい、何にも代えがたく。映画『カップルズ』4Kレストア版、評価&考察レビュー。エドワード・ヤンの“別次元の才能”とは?
台湾ニューウェーブを代表する映画作家であり、現代映画の最重要人物の一人であるエドワード・ヤン。<新台北3部作>の第2作にあたる『カップルズ』(1996)の4Kレストア版が公開中だ。本作の魅力を多角的な視点から読み解くレビューをお届けする。(文・荻野洋一)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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【著者プロフィール:荻野洋一】
映画評論家/番組等の構成演出。早稲田大学政経学部卒。映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」で評論デビュー。「キネマ旬報」「リアルサウンド」「現代ビジネス」「NOBODY」「boid マガジン」「映画芸術」などの媒体で映画評を寄稿する。7月末に初の単著『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ』(リトルモア刊)を上梓。この本はなんと600ページ超の大冊となった。
『牯嶺街少年殺人事件』以降のエドワード・ヤン作品がもたらす驚きと戸惑い
エドワード・ヤン[楊徳昌]監督の代表作は言うまでもなく『牯嶺街[クーリンチェ]少年殺人事件』(1991)である。独特のバロック的な散逸性によって、まちがいなく彼のフィルモグラフィの中心点を成している。一方で台湾近代史のラフスケッチである点がどことなく『悲情城市』(1989)の向こうを張ったようにも見え、楊徳昌と侯孝賢[ホウ・シャオシェン]、この二人の初期の協力関係と後期の離反を考え合わせると、不可思議な感慨をもよおさずにいられない。
『牯嶺街少年殺人事件』の路線をもう少し掘り進めてもよかったのではないか――無責任な傍観者にすぎない筆者は、長いあいだそう考えてきた。それはちょうど、吉田喜重が『秋津温泉』(1962)のあと、もう2度と『秋津温泉』のようなジャンル映画としてのメロドラマを撮ろうとしなかったことに対する名残惜しさにも通じる。
2007年、結腸癌により59歳で死去するまでに楊徳昌が寡作に終わってしまった原因はさまざまであるが、彼自身の妥協を知らない性格が最も大きい。名声をいっきにトップ・オブ・トップに引き上げた『牯嶺街少年殺人事件』のあとに、ユース色の濃い『エドワード・ヤンの恋愛時代』(1994)、『カップルズ』と続くあたりに、かえって楊徳昌の非凡さがうかがえる。と同時に、ある種の倒錯性と言えばいいのか、一筋縄でいかない戸惑いを惹き起こしもする。楊徳昌のフィルモグラフィはちょうど『牯嶺街少年殺人事件』が折り返しとなる相似形を成す。つまり同作の前に長編3本(『海灘的一天[仮邦題:海辺の一日]』『台北ストーリー』『恐怖分子』)、後に3本(『恋愛時代』『カップルズ』『ヤンヤン 夏の想い出』)というふうにシンメトリーを成しているのである。