映画史上最も衝撃的な最期を遂げた俳優は? 夭折のスター(2)名作の完成目前に…謎と憶測が飛び交う最期とは?

text by 阿部早苗

若くしてこの世を去りながらも、永きにわたり世界の人々に愛され続ける者たちあり。革新をもたらした武術の使い手、魂を揺さぶる演技を見せた俳優たち、繊細な心を映した表現者――その生き様は、時を越えてなお輝きを失わぬ。今回は惜しまれつつも若くして命を落とした伝説のハリウッドスターを5人セレクトし、魅力を解説する。第2回。(文・阿部早苗)

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世界中に旋風を巻き起こしたカンフー映画の先駆者

ブルース・リー

ブルース・リー
ブルース・リー【Getty Images】

 カンフー映画の先駆者として名を馳せ、革新的な武術スタイルと圧倒的な存在感で世界的な人気を博したブルース・リー。1940年11月27日、アメリカ・カリフォルニア州で生まれ、幼い頃から子役として活躍していた。

 13歳のとき、伝説の武術家イップ・マンに弟子入りし、武術の才能を一気に開花させる。転機となったのは、1966年、アメリカで開催された「ロングビーチ国際空手選手権大会」での演武だ。そこでのパフォーマンスがテレビプロデューサーの目に留まり、テレビドラマの準主役に抜擢。その後、多数のテレビ番組や映画に出演するようになり、着実にキャリアを積み重ねていった。

 そんな彼を一躍スターダムへと押し上げたのが、「ドラゴンシリーズ」だ。初主演作『ドラゴン危機一発』(1971)を皮切りに、『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972)、『ドラゴンへの道』(1972)と続き、ブルース・リーはトップスターの座を確固たるものにした。

 代表作『燃えよドラゴン』(1973)では、スピード感と迫力に満ちたアクション、そしてカンフー哲学を融合させた唯一無二の世界観を構築。特に、鏡の間での戦いのシーンは、今なお映画史に残る名場面として語り継がれている。それまでのアクション映画とは一線を画す革新性は、観る者すべてを圧倒した。

 しかし、『燃えよドラゴン』の完成を目前にした1973年7月20日、悲劇が訪れる。女優ベティ・ティン・ペイの自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤を服用後に昏睡状態に陥り、そのまま帰らぬ人となった。享年32歳。公式には脳浮腫が死因とされたが、その急逝をめぐってはいまなお多くの謎と憶測が飛び交っている。

『燃えよドラゴン』は、ブルース・リーの死後、同年7月26日にアメリカで公開されると、世界中に熱狂的な武道ブームを巻き起こした。今なおカルト的な人気を誇り、アクション映画史に燦然と輝く金字塔として語り継がれている。

(文・阿部早苗)

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