『しあわせは食べて寝て待て』が描く“愛の循環”とは? 登場人物の言葉が胸に響くワケ。第6話考察&感想レビュー【ネタバレ】
桜井ユキ主演のNHKドラマ『しあわせは食べて寝て待て』が現在放送中だ。本作は、病気で人生が一変した主人公が、築45年の団地での人間関係と薬膳との出会いを通して、自分次第のしあわせに気づいていく心温まる物語。今回は、第6話のレビューをお届けする。(文・菜本かな)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
—————————
【著者プロフィール:菜本かな】
メディア学科卒のライター。19歳の頃から109ブランドにてアパレル店員を経験。大学時代は学生記者としての活動を行っていた。エンタメとファッションが大好き。
それぞれが抱える闇に焦点が当たった第6話
大人になってから、大きな目標を持つことが減ってきたような気がする。目先の仕事に追われているうちに、未来を想像する時間を持てなくなってきたからだろうか。それとも、「どうせ、無理だ」と諦めるクセがついてきてしまったからか。
『しあわせは食べ寝て待て』第6話では、登場人物たちが抱える闇にスポットが当たった。
まずは、さとこ(桜井ユキ)と同じ団地に住むニートの八つ頭(西山潤)。彼は、社会にうまくなじめずに、5年間引きこもりを続けているらしい。「こんなに引きこもってて、本当に幸せなの?」と親に聞かれても、自分が幸せになるというイメージすら持つことができない。さらに、ニワトリをペットとして飼っている人の動画を見て「わたしなんかが食べていいものなのだろうか?」と思い、肉から遠ざかっているようだ。
ペットとして可愛がられているニワトリを見て、「これを食べてしまうのか…」と戸惑ってしまうのはあるあるだと思う。実際にわたしも、小学生の頃に牧場見学に行き、牛を間近で見てからスーパーで売られているお肉にいろいろな想いを馳せるようになった。でも、自分ではそれは大切な感覚だと思っている。命の大切さを知っているからこそ、食べる時に感謝の気持ちが持てるから。
だが、「わたしなんかが食べてもいいものなのだろうか?」と考えるのは、少し違和感を覚えるかもしれない。八つ頭は、それほど自分自身を卑下してしまっているのだろう。そんな時に出会ったのが、同じ団地の住人の反橋(北乃きい)だ。