亡くなった少女と筆跡がそっくり…。代表作『あんのこと』で振り返る、俳優・河合優実の”特別な才能”とは?        

令和の映画界に彗星の如く現れ、瞬く間に多くの観客を虜にした河合優実。第48回日本アカデミー賞にて、入江悠監督作品『あんのこと』での演技が高く評価され、最優秀主演女優賞受賞した今最も注目を集める女優だ。そこで今回は、改めて『あんのこと』にフォーカスし、俳優・河合優実の魅力について解説していく。(文・みくと)

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“役を生きる”河合優実

『あんのこと』6月7日(金)新宿武蔵野館、丸の内TOEI、池袋シネマ・ロサほか全国公開 配給:キノフィルムズ ©2023『あんのこと』製作委員会
©2023『あんのこと』製作委員会

 あなたは映画を見るようになったキッカケを、今でも覚えているだろうか。

 筆者は、とある作品と俳優に出会い、これまで見てこなかった日本映画を見るようになった。洋画ばかりだった筆者の映画人生に、日本映画という彩りを加えてくれた作品とは、入江悠監督の『あんのこと』である。

 そして何より、筆者が日本映画を見ていきたいと強く思ったのは、同作品の主演を務めた河合優実という俳優に強く惹かれたからだ。ぱっと見の素朴な印象とは裏腹に、どこか儚げで不思議な色香を併せ持つ独特の存在感に魅了された。役を演じるのではなく、“役を生きる”と言ったほうが正しい臨場感のあふれる表現力が、筆者の心をさらったのである。

 一人の映画好きの観賞スタイルを一変させるほどの魅力を秘めた俳優、河合優実。今回は、そんな彼女の魅力を『あんのこと』での演技から紐解いていく。

モデルとなった少女の筆跡を模倣する細部へのこだわり

映画『あんのこと』
© 2023『あんのこと』製作委員会

『あんのこと』は、とある新聞記事に掲載された実在の事件がモデルとなった映画だ。河合優実は、入江悠監督の作品に出ることはすでに決まっており、脚本を渡されてから役作りに入ったという。実在の人物を演じる重責を感じながらも、コロナ禍に起こった悲劇の渦中にいた少女を、自身の稀有な表現力でありありと生き返らせた。

 先述したように、河合優実は役を演じるのではなく、“役を生きる”ことができる。それを象徴するシーンはいくつもあるのだが、まずは映画の冒頭、杏を演じている河合優実がゾンビのような足取りで街を歩いていく場面から見ていこうと思う。

 世の中の片隅で、どこにも届かぬ悲鳴を上げている少女が、コロナ禍の閑散とした街なかを歩いていく冒頭のシーン。ここで観客は、河合優実ではなく杏という悲劇の渦中にいた少女を見いだす。

 まるで杏のモデルとなった少女が生き返り、河合優実に乗り移ったかのような錯覚すら覚えるほど生々しい演技。これこそが、まさに“役を生きる”ということなのだと筆者は感じた。

 さらに、劇中で多々羅と初めてラーメンを食べるシーンでも、箸を持つ手から持たない左手の指にまで杏が宿っている。何より筆者が驚嘆したのは、杏のモデルとなった少女が実際に書いた手紙の文字さえも似ていたことだった。

 小学3年生で不登校となった彼女の字は、小学生が覚えたての字を一生懸命に書いたような、太っちょで不恰好な字なのである。劇中で河合優実が日記に書いている字もまた、そのような稚拙さの残る太った筆跡になっているのだ。

 着ている服や薬物の乱用によって血色が悪くなった皮膚などは、衣装やメイクでどうにかなる。ただ、その人が持つ独特の動きのニュアンスは、メイクや加工でどうこうできるものではない。杏だけが持つ杏だけのニュアンスを的確に捉え、動きに反映している河合優実には、その辺りの感覚をラジオのつまみのように調整できる才があるのだろう。

 そして河合優実の魅力は、瞳の表現力からも語ることができる。劇中で杏を演じている河合優実の瞳の奥にあるのは、延々と続く闇だ。親に暴力を振るわれ、薬物を乱用し、希望も絶望もない空っぽの現実をただただ受け止めるしかない虚げな杏を、瞳だけで物語っている。

 リアルと言ってしまえば簡単なのだが、そこには杏のモデルとなった少女が、確かに生きていた。映画の中に生きていたからこそ、観客は薬物や虐待、売春などの日本に蔓延っている事実にしっかりと目を向けることができたのだ。そして「生きていた」と感じるのは、河合優実が一瞬一瞬を大切に演じ、杏のモデルとなった少女に対してとことん向き合っていたからなのだろう。

 杏のモデルとなった少女は、2020年の5月4日に亡くなっている。つまり河合優実は然り、入江監督や他のキャストも杏のことは知らないし、もう会えない。河合優実は当時、杏のモデルとなった少女を取材していた記者に対して、彼女がどういう人だったのかを根掘り葉掘り聞いたという。

 実際の彼女は、いつもニコニコと照れ笑いをしているような女の子だったそうだ。そのような情報をベースとして取り入れ、杏を想像する。現場では演技のプランや考えていたことを崩し、瞬間瞬間を生き、素直に演じるといったアプローチの仕方を取った。

 杏というキャラクターに“生”を感じるのは、そうした入念な下調べと河合優実なりの解釈、そして演者としての表現力によるものなのだろう。

 そして、彼女は本作で第48回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。

役に“生”を与える河合優実の稀有な才能

映画『あんのこと』
©2023『あんのこと』製作委員会

 映画『サマーフィルムにのって』(2021)、映画初主演作の『少女は卒業しない』(2023)などで女子高生を演じている河合優実。演じた役の年代こそ同じではあるものの、作品ごとではまったく異なる雰囲気を味わえる。

『少女は卒業しない』では、少しミステリアスで繊細な少女を演じ、『サマーフィルムにのって』ではイケメンが苦手なオタクを爽やかに演じている。

『あんのこと』の杏に近い役は『由宇子の天秤』(2021)で演じた萌だろう。この役は、主人公である由宇子の父が経営する塾の教え子として登場するのだが、“腹に一物”のある子なのだ。重いテーマかつ、難しい役だったが、河合優実は器用に萌を演じ切った。

『あんのこと』と同年に公開した『ナミビアの砂漠』でも、感情の起伏が激しくなる女性を演じ、強烈なインパクトを叩き込んでいる。

 彼女の魅力は一口に言ってしまうと、役に“生”を与え、その場で生きられることだろう。

 これまでにもすでに、多様な役を演じている。今後、どのような役を演じ、魂を宿らせていくのか、楽しみで仕方がない。

【著者プロフィール:小石 海玄人(みくと)】

横浜・2000年生まれ|文章を綴るのがお仕事:映画レビュー、SEO、コラム、ニュース、取材・インタビュー|映画と映画館が大好き|映画のジャンルは問わず、洋画も邦画もむさぼるそこら辺の映画好きです。

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【了】

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