井之脇海”新之助”の叫びが胸を打つ…大河ドラマ『べらぼう』が描く容赦のなさとは? 第31話考察レビュー【ネタバレ】

text by 苫とり子

横浜流星主演の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合)が現在放送中。貸本屋からはじまり「江戸のメディア王」にまで成り上がった“蔦重”こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯を描く。今回は、第31話の物語を振り返るレビューをお届けする。(文・苫とり子)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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良かれと思っての行動が招いた最悪の事態

『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第31話 ©NHK
『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第31話 ©NHK

「お天道様は見ている」という言葉がある。たとえ誰も見ていなくても、神様だけはあなたの善行も悪行も見ていて、それ相応の報いを受けるのだ…と。しかし、本当にそうだろうか?と言いたくなるような出来事がこの世には時として起こる。

 天明6(1786)年7月、関東一円で大雨が発生。利根川が決壊し、濁流は江戸市中にまで流れ込んだ。浅間山大噴火からわずか3年後の出来事。噴火による火砕流が吾妻川を通じて利根川に流れ込み、河床が上昇して水はけが悪くなったことが洪水の原因だと言われている。

 とりわけ洪水の被害が大きかったのが、新之助(井之脇海)とふく(小野花梨)が暮らす深川だ。幕府のお救い小屋から溢れ出た人々と長屋で身を寄せ合って暮らす2人のもとに、蔦重(横浜流星)が米を届ける。

 物価が高騰し、救い米も底をついた今、蔦重の差し入れは2人にとっては涙が出るほどありがたい施しだった。だが、まさかそれが間接的にふくと息子・とよ坊の命を奪うことになるなど誰が想像できただろう。

新之助(井之脇海)の行き場のない怒りと哀しみ

『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第31話 ©NHK
『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第31話 ©NHK

 周りの人と分け合うほどの量はないため、「お口巾着で」という蔦重との約束で米のことは自分たちの中だけに留めていた2人。その代わりに、ふくは栄養失調で乳が出なくなった母親たちの赤ん坊に乳をあげていた。

「私は人に身を差し出すのには慣れているから」。そう言って、我が子ではない赤ん坊に乳を与えるふくは聖母のような微笑みを浮かべる。

 吉原の女郎だった頃から、ふくはそういう人だった。新之助の揚げ代を肩代わりするため、おかしな客の求めにも必死に応じていたふく。

 それを知った新之助が足抜けを試みたが失敗、ふくは折檻を受けることとなる。痛い目に遭ったことで一度は離れるも互いを忘れられず、俄祭りの賑わいに乗じて吉原を去った。

 そして源内(安田顕)から紹介された農村で新しい人生をスタートさせた2人。しかし、大噴火をきっかけに農村を追われ、再び江戸に戻ってくる。蔦重のもとに身を寄せ、どうにか生活を立て直した2人は今度こそ穏やかな生活を送ろうとしていたのに。

 ある日新之助が帰宅すると、ふくととよ坊が変わり果てた姿になっていた。家に押し入った盗人と揉み合った末に命を落としたという。近所に住む一人の母親が何気なく漏らした「あの家には米があるんじゃないか」という一言が引き金となった。

 犯人の男に、新之助はすぐにでも殴りかかりたかったことだろう。しかし、男もまた父親だった。その傍らには延々と泣き続ける赤子がいる。その泣き声が頭にこびりついて離れない。

 蔦重が良かれと思って差し入れした米が悲劇を招いた。考え得る限り一番最悪の事態だ。森下佳子脚本の容赦のなさに戦慄する。

 しかしながら、その米がなければ、ふくも栄養失調でとよ坊に乳がやれず、新之助も同じように盗みを企てていたかもしれない。「この者は俺ではないか。俺は、俺はどこの何に向かって怒ればいいのだ!」と、こんな時も聡明さを失わない新之助の行き場のない怒りと哀しみが詰まった台詞に胸を打たれた。

「天は見ておるぞ」
家治(眞島秀和)の言葉が届くのは―――。

『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第31話 ©NHK
『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第31話 ©NHK

 ふくは庶民の代弁者たる存在として、この物語に生を受けたのだろう。洪水の直後に知れ渡った意次(渡辺謙)発案の「貸金会所令」も徴収対象は家主とはいえ、家主が負担分を賄おうと店賃を上げたら、結局は末端庶民の生活が苦しくなることをふくは分かっていた。

 田沼を庇おうとした蔦重は、「つまるところ、ツケを払わされるのは私らみたいな地べたを這いつくばってるやつ。それが、私の見てきた浮世ってやつなんだよ」というふくの忌憚ない意見に返す言葉もない。

 もちろん、田沼は先の先まで見据えていて、「貸金会所令」も長い目で見れば、庶民にも利がある政策だった。しかし、今日食べるものにも困る生活を強いられている庶民にとっては、腹も満たしてくれない無意味なものでしかない。ただでさえ、以前から批判が相次いでいた田沼はこれにより老中の職を辞することとなる。

 天が降らした雨が、世のため、人のために生きてきたふくや意次を追い詰め、一方で悪事の限りを尽くしてきた治済(生田斗真)に味方する。「お天道様は見ている」なんて、嘘じゃないかと言いたくなるような展開だ。しかしながら、まだその結論を出すのは早い。

「よいか、天は見ておるぞ。天は、天の名を騙る驕りを許さぬ。これからは余も天の一部となる。余が見ておることをゆめゆめ忘れるるな!」

 おそらく治済の手引きで毒を盛られた家治(眞島秀和)が、最後の力を振り絞って放った言葉だ。天になったつもりでいる治済にはその言葉は響かなかったようだが、隣にいる家斉(長尾翼)は何を思ったことだろう。その小さな胸に、まとうどの心が宿ったことを願っている。

【著者プロフィール:苫とり子】
1995年、岡山県生まれ。東京在住。演劇経験を活かし、エンタメライターとしてReal Sound、WEBザテレビジョン、シネマズプラス等にコラムやインタビュー記事を寄稿している。

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【了】

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