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名付けようのない繊細な関係を描く…映画作家・前田弘二の魅力とは? 映画『こいびとのみつけかた』考察レビュー【後編】

text by 冨塚亮平

『まともじゃないのは君も一緒』の監督・前田弘二と脚本・高田亮のコンビが贈る映画第二弾『こいびとのみつけかた』が公開中だ。ジャンル映画を強く意識して映画を撮り続けてきた前田弘二×高田亮コンビが、新たな領域に足を踏み入れた本作の深掘りレビューをお届けする。(文・冨塚亮平)<あらすじ キャスト 考察 解説 評価 レビュー>

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【著者プロフィール】

アメリカ文学/文化研究。神奈川大学外国語学部助教。ユリイカ、キネマ旬報、図書新聞、新潮、精神看護、ジャーロ、フィルカル、三田評論、「ケリー・ライカートの映画たち漂流のアメリカ」プログラムなどに寄稿。近著に共編著『ドライブ・マイ・カー』論』(慶應大学出版会)、共著『アメリカ文学と大統領 文学史と文化史』(南雲堂)、『ダルデンヌ兄弟 社会をまなざす映画作家』(neoneo編集室)。

「まともじゃない」二人を「等身大に感じられる」人物として提示する

©JOKER FILMS INC

 映画は、前作のラストを引き継ぐかのような揺れる木を捉えたエンプティショットで幕を開ける。いつも通っているコンビニでレジ打ちを担当する女性、園子(芋生悠)に思いを寄せる植木屋のトワは、ある日コンビニから職場の公園まで木の葉を等間隔で置くことで、彼女を店の外に誘おうとする。なぜかこの荒唐無稽な誘いはいとも簡単に成功し、トワは実際に目の前に現れた園子とすぐに意気投合する。トワの「まとも」な同僚や上司、園子の「まとも」な友人たちとは異なり、二人は互いの奇妙で突拍子のない言動や行為を頭ごなしに否定せず、「いいね」と肯定し合い、笑い合う。

 ある夜、互いの同僚や友人との気まずい飲み会を抜け出した二人は、園子の部屋を訪ねる。そこで、廃工場の一角にしか見えない部屋に暮らす彼女が、日夜新聞紙を用いてオリジナルの生き物を象った彫刻を大量に作成していることが判明する。しかし、この少なくない観客を動揺させるはずの園子の意外な側面をも、トワは「すごいね」とすんなり受け入れてしまう。

 前田と高田は、過剰さや人物間のすれ違いといった典型的なメロドラマの演出には邪魔になるスマートフォンを、この映画に一切登場させない。しかし、SNSのコミュニケーションを想起させる「いいね」という気軽な肯定の言葉を頻繁に用いつつ、その言葉を対面で目の前の相手へ向けられるものへと変更することで、若い観客に顕著な共感のあり方を否定しないまま、対人関係の別の回路をも同時に切り開こうとしているように見える。

 「リアリズムの平均な所」からは大きく逸脱する、「記号性」に満ちた「まともじゃない」二人を、それでもある程度「等身大に感じられる」人物として提示するためのこの綱渡り的な工夫は、ひとまず奏功しているように思える。

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