「広島と長崎を描かない」という選択に潜む忖度…アカデミー受賞作の見逃せない問題点は? 映画『オッペンハイマー』考察&評価
第96回アカデミー賞で作品賞を含む7冠を達成した映画『オッペンハイマー』が公開中。クリストファー・ノーラン監督が、アメリカの原爆開発「マンハッタン計画」の指揮をとったロバート・オッペンハイマーを描いた歴史映画。その見どころと問題点を浮き彫りにするレビューをお届け。(文:荻野洋一)【あらすじ キャスト 考察 解説 評価】
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【著者プロフィール:荻野洋一】
映画評論家/番組等の構成演出。早稲田大学政経学部卒。「カイエ・デュ・シネマ」日本版で評論デビュー。「キネマ旬報」「リアルサウンド」「現代ビジネス」「NOBODY」「boidマガジン」「映画芸術」などの媒体で映画評を寄稿する。今年夏ごろに初の単著『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ(仮題)』(リトルモア刊)を上梓する予定で、500ページを超える大冊となる。
巨大スクリーンの没入感に陶然。IMAX上映のひとつの完成形
IMAXの巨大スクリーンで『オッペンハイマー』を見る行為は、暴風雨の中を歩くのに似ている。私たち観客の目/耳といった諸器官がインフレを起こし、水の中で溺れるような感覚を伴う。『オッペンハイマー』は没入感という点であざやかな成果を得たようだ。
広大な宇宙空間でもなく、スーパーヒーローの活躍でもないのに、科学者や政治家が狭い室内でただペラペラと言い争っているだけの映画だというのに、没入的なスペクタクルが前代未聞なほどに実現している。IMAX 65mmフィルムという、誰もが許されるわけではない特権的なフォーマットを駆使して、クリストファー・ノーランは未曾有のスペクタクルを実現させた。IMAX上映のひとつの完成形をここに見て取ってよいのかもしれない。
ひとつひとつのショットは自律的であることを放棄し、前後の脈絡を犠牲にしながらスピーディに短冊化され、シャッフルされていく。クリストファー・ノーランという短気な作り手による短冊ショットの濁流が突きつける恫喝によって、私たち観客は追い詰められる感覚を味わう。そしてそのインフレーションこそが、この作品の全世界的な成功要因だろう。
画面上では物理学者たちの知的な会話が溢れかえり、私たち観客はそれを真面目に追いかけるふりをしながら心ここにあらず、巨大スクリーンの没入感に陶然となることを優先している。そしてそれによって分泌されるドーパミンは、映画というものが100年超にわたり提供してきたものの現在形としてある。