柴咲コウの“寄るべのない視線”が意味するものとは? 映画『蛇の道』徹底考察&レビュー。旧作版との違い、黒沢清の演出を解説
text by 司馬宙
日本映画界を代表する名匠、黒沢清。彼が1998年に制作した映画『蛇の道』が、26年の歳月を経てフランス資本でリメイクされた。今回は、高橋洋が監督を務めた旧作版との違いや、新作ならではの要素を紹介。黒沢がセルフリメイクに踏み切った理由について検討する。(文・司馬宙)【あらすじ キャスト 考察 解説 評価 レビュー】
※本レビューは物語の結末部に言及しています。鑑賞前の方はご留意ください。
テーブルの下の不発弾
2人の男がテーブルを囲んで会話している。テーブルの下にはアナーキストが隠した爆弾が設置されているが、登場人物はその存在に気づかない。一方、この様子を見ている観客は、この爆弾が1時に爆発すること、そして劇中の時間が爆発の15分前であることを知っているー。
これは、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックによる「テーブルの下の爆弾」というたとえ話だ。彼は、登場人物も観客も爆弾の存在を知らない状態で爆発させる「サプライズ」と対置させる形で、サスペンス映画の極意を紹介している。登場人物と観客の間に情報の差を作ることで、観客の緊迫感を存分に煽るというわけだ。
では、反対に、登場人物の方が爆弾の存在を知っていて、観客が知らないとすればどうだろうか。しかもその爆弾が、永遠に爆発しない不発弾だったとすればー。お察しの通り、このとき爆発、つまり終結は永遠に引き延ばされる。観客は、爆発の手前で「宙吊り(=サスペンス)」状態に置かれるのだ。
黒沢清の『蛇の道』は、そんな「テーブルの下の不発弾」をめぐる物語だ。