噴出する映画の発掘的な精神。アリーチェ・ロルヴァケル『墓泥棒と失われた女神』が描く失われた聖性とは? 考察&評価レビュー
text by 荻野洋一
『幸福なラザロ』(2019)のアリーチェ・ロルヴァケル監督最新作『墓泥棒と失われた女神』がBunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座ほか全国で公開中だ。ルキーノ・ヴィスコンティの系譜に連なる、イタリアの女性監督による長編映画の魅力とは? (文・荻野洋一)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価】
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【著者プロフィール:荻野洋一】
映画評論家/番組等の構成演出。早稲田大学政経学部卒。映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」で評論デビュー。「キネマ旬報」「リアルサウンド」「現代ビジネス」「NOBODY」「boidマガジン」「映画芸術」などの媒体で映画評を寄稿する。7月末に上梓する初の単著『ばらばらとなりし花びらの欠片に捧ぐ』(リトルモア刊)は600ページを超える大冊となる。
小悪党たちへ向けるアリーチェ・ロルヴァケルのまなざし
いきなり個人的な事柄で恐縮だが、わたしは東京のまん中の在住で、このあたりは江戸時代には武家屋敷が建ち並んでいたため、いったん道路工事が始まってみると次から次へと歴史的遺産が出土してしまい、発掘調査のため、ただの道路工事だったはずが20年もかかる大事業になってしまう。つまりわたしたち現代人がなにげなく暮らし、踏みならす地面の下には過去の人々が生きた豊かな証が眠っているのである。
イタリアの女性監督アリーチェ・ロルヴァケル。彼女はきらめくような才能の持ち主であるが、派手な映画作法などは決して弄しない。むしろ、誰も目もくれないような鄙(ひな)びた集落、貧しい人々や小悪党、見落とされがちな瑣末なエピソードを拾い上げ、掘り下げていく才に恵まれた映画作家である。
彼女の前作長編『幸福なラザロ』(2019)では、時が止まったような田舎で無知蒙昧な村人たちが封建領主に小作農として仕えていて、まるで中世のようなコミュニティが維持されていた。
今回の新作『墓泥棒と失われた女神』は1980年代の墓泥棒たち(イタリア語でトンバローリと呼ばれる)が引き起こすエピソードを描いているが、この粗野で、愚かで、滑稽な小悪党たちへ向ける作者ロルヴァケルのまなざしの、なんという温かさ、憐れみ、そして残酷さだろうか。