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ラストシーンが泣ける…吉沢亮の繊細な演技に注目すべき理由。映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』徹底考察&評価レビュー

text by 青葉薫

コーダとして生きてきた五十嵐大の自伝エッセイを原作とし、呉美保監督がメガホンを取った映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が現在公開中だ。吉沢亮を主演に迎え、宿命に抗う親子の絆と苦悩を描いた本作。今回は、「社会の歪み」によって葛藤する主人公・大の複雑な感情を紐解いていく。(文・青葉薫)【あらすじ 解説 考察 評価】

※本レビューでは映画の終盤部に言及しています。

【著者プロフィール:青葉薫】

横須賀市秋谷在住のライター。全国の農家を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」が松竹系で『種まく旅人』としてシリーズ映画化。別名義で放送作家・脚本家・ラジオパーソナリティーとしても活動。執筆分野はエンタメ全般の他、農業・水産業、ローカル、子育て、環境問題など。地元自治体で児童福祉審議委員、都市計画審議委員、環境審議委員なども歴任している。

“きこえない世界”と”きこえる世界”を生きる葛藤

『ぼくが生きてる、ふたつの世界』 
©五十嵐大/幻冬舎 ©2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

“きこえない世界”と”きこえる世界”。そのふたつを行き来しながら生きている人がこの国だけで2万人以上存在している事実をまるで知らなかった。

 CODA(コーダ)

 きこえない、またはきこえにくい親を持つきこえる子供。

「ぼくが生きてる、ふたつの世界」。コーダとして生きてきた作家・五十嵐大氏の自伝的エッセイを原作に紡がれた親子の愛の物語だ。監督は『そこのみにて光輝く』(2014)『きみはいい子』(2015)の呉美保。本作が9年振りの長篇作品である。

 宮城県の小さな港町。祖父母との二世帯で暮らす五十嵐家に男の子が誕生する。”大”と名付けられた赤子のお食い初めを祝う一家。

 彼らがほかの家庭と少しだけ違うことを明示するのが「聞こえて良かった」と赤ん坊をあやす叔母だ。その声は傍にいる両親には届いていない。

 そう、大の母・明子(忍足亜希子)は生まれつき耳がきこえない。父・陽介(今井彰人)も後天性の聴覚障碍者である。大は〈手話でコミュニケーションを取る両親〉と〈発話でコミュニケーションを取る祖父母〉の元で育っていく。

 生まれたときからそれが当たり前だった彼は手話と発話という2つのコミュニケーション能力を育んでいく。

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