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「自分の力を自分自身がいちばん信じられるか」ドラマ『ドラフトキング』で話題。名スカウトが語る、仕事の流儀【前編】

text by 三谷悠

ムロツヨシがプロ球団の剛腕スカウトに扮し、華やかな野球界の裏側にある濃厚な人間ドラマを描いたドラマ『ドラフトキング』が話題を集めている。約40年に渡り中日ドラゴンズのスカウトを務めた中田宗男さんのインタビューをお届け。スカウトとドラフトに関する、ドラマの理解が深まるお話を伺った。今回は前編。(取材・文:三谷悠)

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【プロフィール 中田宗男(なかた・むねお)】

1957年1月8日生まれ、大阪府出身。上宮高から日体大に進学し、78年オフにドラフト外で中日入団。83年限りで引退し、プロ5年間の通算成績は7試合登板、1勝0敗、防御率9.00。84年からスカウトに転身し関西地区を中心に活動。03年から17年までスカウト部長を務め、2018年1月に定年退職したあとも編成部アマチュアディレクター、アマスカウト部アドバイザーとして球団のチーム編成に関わった。22年1月に退団し、38年のスカウト人生に終止符を打った。

名スカウトマンが語るドラフトキング

写真:編集部

 毎年、世間の注目を集めるプロ野球のドラフト会議。人が人を評価し、選び選ばれ、のちの人生が大きく揺れ動く。その背景には選手とスカウトマンと、関係者や家族の悲喜こもごもの人間物語が存在する。

 現在『グランドジャンプ』(集英社)で連載中の『ドラフトキング』はスカウトの実情をリアルに描いて人気を博し、昨年WOWOWにてドラマ化。現在ではAmazonプライムビデオやNetflixでも配信されている。スカウトやドラフト会議の実態はいかなるものか――。

 中日ドラゴンズで約40年にわたり選手獲得のために奔走し、昨年『星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録』を上梓した中田宗男さんに話を聞いた。

ーーー『ドラフトキング』は、その年のドラフトでナンバーワンと目される選手を獲得するために奮闘するスカウトたちの物語です。また下位指名ながら、のちに球史に名を残すような選手の発掘もドラフトキングと定義しています。中田さんはドラゴンズで40年近くスカウトのキャリアを積まれましたが、こうした定義にあてはまる選手はいらっしゃいますか。

「自分の担当で言えば、球史に名を残すほどではないかもしれませんが、ベイスターズに移籍した種田(仁)がそうでしょうね」

ーーー1989年のドラフトで6位指名されています。どこに惚れこんだのでしょうか。

「彼は元木(大介)と上宮高校の同級生で、僕も同じ学校の出身なんですよ。だから頻繁に練習を見に行っているうちに、元木もいいけど種田も面白いな、と思うようになって。ただ種田は進学希望だったんです。そういう経緯もあって上位ではなく、ダメ元で下位指名でいってみようか、と。それで6位指名になりました」

ーーー著書によると、契約に至るまでにかなりの時間を要したそうですね。

「種田はとにかく、元木をライバル視していたんですよ。その元木は巨人が意中の球団だったので、福岡ダイエーホークスの1位指名を拒否した。種田にすれば、なぜ元木が1位で、自分が6位なんだ、と。でも逆に、それが決め手なったというか、もともと評価していたのは彼のそういった反骨心。そこに火をつけて、うちに来てくれという感じでしたね」

ーーーもともとプロで通用する精神的な土台があった、と。

「元木は華があって、常に注目されていた。種田はどちらかと言えば職人気質な選手。非常に対照的で、お互いに面白いものを持っている、と見ていましたね」

ーーー独特の「ガニマタ打法」で長くファンに愛される選手になりました。

「そうですね。1年目から試合に出て、最初はサードだったのが、最終的にはショートでレギュラーになりました。僕もビックリしたくらいですけど(笑)。高校では元木がショートで、直接聞いたわけではないですけど、僕のほうがうまいと豪語していたらしいです。コーチにも常に、なぜ僕じゃないんですか、と言っていたらしくて。

要は、自分の力を自分自身がいちばん信じられるかどうか。これがプロでもっとも大事なところです」

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