演じるキャラクターと共振する演技
杉咲が作品の世界で立っている場所と、そこから見える視界を必ずと言っていいほど心に留めているのは、彼女の作品に対するコメントやインタビュー記事を読めば一目瞭然だ。
人が人を理解するときに、どうしても想像の及ばない隔たりがある。でも、だからこそ彼女は自分ではない「誰か」を演じるうえで、その人物が立っている場所に少しでも近づくための努力を怠らない。ナチュラルすぎる朝子の長崎弁に視聴者は慣れきっているかもしれないが、それも並大抵の所業ではないはずだ。
どれだけ時代を遡ろうと、自らのルーツを持たない場所に暮らす人だろうと、演じるキャラクターが大切にしている価値観や言葉を尊重して、自身と共振させながら演技に挑んでいく。
激動に揺れる1955年の端島を生きる朝子が、現代のフィルターを通してもまったく違和感なく画面に存在しているのは、さりげない仕草や表情が自然と表出されるまで彼女自身が役に埋没しているからに他ならない。
『海に眠るダイヤモンド』の物語は、着実にクライマックスへ向けて針を進めている。そして、杉咲花が演じる朝子を観られるのもあとわずかだ。
物語の結末はもちろん気になるところだが、一挙手一投足にいたるまで見逃さずに、朝子として生きる彼女の芝居を目に焼きつけたい。
(文・ばやし)
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