青山真治が引き出した岩田剛典の役者としてのポテンシャル


岩田剛典公式Instagramより

 古典的ハリウッド映画俳優の演技はとにかく無駄がない。余計な動きや視線移動は御法度とばかり、すべてが映画演出と呼応する設計に基づいた演技だとひとまず定義しておく。もちろんそれらは特に1930~40年代の黄金期ハリウッド映画のスタジオ内で稼働していたスターシステムありきの仕草(演技)であり、安易に現代映画の演技とイコールで語るわけにはいかない。にもかかわず、大胆な発想を許してもらうなら、岩田剛典とは古典的ハリウッド映画俳優に連なるべき存在であり、古典的な仕草の人としておどろくほど端正なスタイルの俳優だとぼくは声を大きく主張したい。

 彼が演じるキャラクターの感情がエモーショナルになる場面でこそ、むしろ高ぶる感情は抑制される。その表情が過剰になることも、自分から何かをしようと演技が大げさに勢い込むこともない。どこにも無駄が見当たらない。

 その意味で岩田剛典は、ジェームズ・スチュワートが演技の基盤にした姿勢を踏襲していると指摘できる。スチュワートは後年のインタビューで自分の演技について「I don’t act. I just react.」(演じているのではなく反応しているだけ)と答えている。つまり、相手俳優をよく見て、反応(リアクション)する演技スタイル。何か余計なことをしようなんて思わない。リアクションは単純な視線移動(アクション)だけで事足りる。だから簡潔で、なおかつ自然に写る。

 こうした視線移動を繰り返す岩田剛典が古典的存在かどうか、その資質を唯一見抜いていたのは、『空に住む』(2020)舞台挨拶で「岩田さんは、岩田さんという人間を生きていることにおいて、物凄く聡明な人」と評した青山真治監督だけかもしれない。この「聡明な人」とは、黄金期のハリウッドスターが備えていた、折り目正しくありつつ柔らかくもある構え方と気品を現代に伝える、岩田剛典の俳優としての在り方を指しているのではないだろうか。

 パフォーマー、俳優、ソロアーティストとして何足もの草鞋を履く岩田は、回遊魚のように動き続ける基本姿勢を“マグローマン・スタイル”だと公言している。それをぼくは、次から次へと出演作品を重ねることで映画俳優として身を捧げようとする毅然とした意思表明だと理解している。固有のスタイルを明確にすること、それこそ、「聡明な人」たる証である。

 まったく現代の日本人俳優には稀な古典的存在であり、しかもその才能を実は本人があまり意識していないところに映画的魅力をどんどんたたえてしまう人。それが岩田剛典だ。今度、彼と対面するときには「岩田さん、あなたは古典的映画俳優ですね?」と懲りずに同意を求めてしまいそうだ。

(文・加賀谷健)

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【了】

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