トップアイドルを追い詰めた時代錯誤の演出
中山美穂(今日子)『ビー・バップ・ハイスクール』
監督:那須博之
脚本:那須真知子
キャスト:仲村トオル、清水宏次朗、
【注目ポイント】
2024年12月6日、日本国内に激震が走った。一世を風靡した女優の中山美穂が、自宅で亡くなっているのが発見されたのだ。
1985年に『毎度おさわがせします』(TBS系)で女優デビューを果たした中山。若干15歳から始まった彼女の女優人生は、まさに「最後まで駆け抜けた」という言葉が相応しかったといえるだろう。
さて、そんな彼女が、自身のスター性を遺憾無く発揮した作品が、1985年公開の『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズだ。お嬢様育ちでありながら、喧嘩に明け暮れるヒロシ(清水宏次朗)とトオル(仲村トオル)に物おじせずに意見する彼女の姿は、当時の多くの中高生を虜にした。
しかし中山は、3作目の『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲』(1987)から、「アメリカに留学した」という設定で一切出演していない。一体なぜ彼女はシリーズから姿を消したのか。
この降板について中山は、自身のラジオで「お嬢様の役を演じるのが嫌だった」と語っている。しかし、戸塚水産高校番長・へび次役で出演した小沢仁志によると、本当の理由は別のところにあったという。
実は中山、第1作の撮影当初から、本物の不良たちが出演する本作の撮影におそれをなしていた。ましてや中山は当時トップアイドルとはいえデビューしたばかりの女優。しかし、監督の那須博之をはじめ、映画スタッフたちは彼女に気を配る余裕がなかったという。
そして、降板の決め手となったシーンの撮影がやってくる。それは、中山が観覧車に監禁され、へび次に髪を切られるというシーンだった。小沢たちの本気の演技に震え上がった中山は、観覧車から降りるなり「映画なんて大っ嫌い!」と絶叫。プロデューサーの再三の説得により2作目の出演は決めたものの、シリーズから次第に身を引いていったという。
なお、小沢は後年インターネット番組で、観覧車のシーンの撮影前に、監督の那須から「本番ではマジでぶん殴れ」と指示を受けていたと明かしている。10代の少女に一生消えないトラウマを残した鬼畜演出。今の世の中では、絶対にまかり通らないだろう。