ラストが原作と全然違う…改変で物議を醸した名作映画5選。オリジナルのほうが衝撃的? 映画史に残る結末をセレクト

text by 阿部早苗

ラストの数分で印象がガラリと変わる。原作が持つ余韻と、映画が描くメッセージ――どちらが“正解”かは一概に言えない。原作と異なる終わり方を選んだ5つの映画から見えてくるのは、時代、文化、作り手の想いが織りなすもうひとつの物語の可能性だ。今回は、原作とラストが異なる名作映画を5本紹介する。※映画のクライマックスについて言及があります。未見の方はご留意ください。(文・阿部早苗)

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原作では異なる形で描かれるどんでん返し

『猿の惑星』(1968)

映画『猿の惑星』
映画『猿の惑星』【Getty Images】

監督:フランクリン・J・シャフナー
脚本:マイケル・ウィルソン、ロッド・サーリング
原作:ピエール・ブール
出演:チャールトン・ヘストン、ロディ・マクドウォール、キム・ハンター、モーリス・エヴァンス、ジェームズ・ホイットモア、ジェームズ・デイリー、リンダ・ハリソン

【作品内容】

 地球から320光年の旅を経て未知の惑星に不時着した宇宙飛行士テイラー(チャールトン・ヘストン)。そこでは言葉を話す猿が支配者で、人間は野生動物として扱われていた。

 捕らえられたテイラーは、猿の科学者コーネリアス(キム・ハンター)とジーラ(ロディ・マクドウォール)の協力を得て、人間の娘ノバと共に脱出を試みるが、彼を待っていたのは衝撃の真実だった。

【注目ポイント】

 1968年に公開された映画『猿の惑星』は、フランスの作家ピエール・ブールによる原作小説『猿の惑星(La Planète des singes)』を基に制作された。なかでも、物語の結末で明かされる“自由の女神の残骸”のシーンは、映画史に残る衝撃的などんでん返しとして広く知られている。

 物語の主人公・テイラーは、猿が支配する未知の惑星に不時着。そこでは人間が言語も持たず、下等な存在として扱われ、猿たちが高度な文明を築いていた。英語を話す猿の科学者たちの協力を得て逃走したテイラーは、禁断の地へとたどり着く。

 そしてそこで目にしたのは、朽ち果てた自由の女神の姿だった――。その瞬間、彼はこの星が未知の惑星ではなく、核戦争によって文明が崩壊した“未来の地球”であることを悟り、人類の愚かさに絶望しながら、砂浜にひざをついて叫ぶ。こうして物語は幕を閉じる。

 一方で、原作小説は設定こそ似ているものの、展開やラストはまったく異なる。原作では、主人公は宇宙船で地球とは別の惑星に到着し、そこでは猿が支配する文明が存在していた。人間は動物同然に扱われており、主人公はその社会で言語を学び、知性を示すことに成功する。

 やがて彼は地球へと帰還するが、そこで待っていたのは、すでに猿によって支配された“変わり果てた地球”だった。そして驚くべきことに、この物語全体が、実は宇宙を旅する猿のカップルによって読まれていた手記だったことが明かされる。つまり、物語の枠組みそのものが、猿の時代が常識となった世界からの視点で描かれていたのだ。

 映画版が「人類の自滅」という終末的メッセージを強烈に描いているのに対し、原作は「文明の入れ替わり」や「支配と記憶の風化」をより大きな時間軸で描いた構造になっている。それぞれ異なる角度から、人間社会の脆さと警鐘を提示しており、結末のインパクトだけでなく、作品全体を貫くテーマの違いにも注目したい。

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