一行の描写を一大ドラマに昇華した脚色の極致
『砂の器』(1974)
監督:野村芳太郎
脚本:橋本忍、山田洋次
原作:松本清張
キャスト:丹波哲郎、加藤剛、森田健作、加賀まりこ、島田陽子
【作品内容】
東京蒲田の国鉄操車場で、殺人事件が起こる。警部補の今西栄太郎(丹波哲郎)と刑事課巡査の吉村 弘(森田健)の2人が、捜査を開始するも、被害者の身元がわからず難航。
そんな折、被害者が殺害される直前に立ち寄った蒲田のバーで、被害者がある男と2人で話し込んでいる姿が発見された。「カメダ」という謎の単語を残して…。
【注目ポイント】
小説を映像作品へと昇華させる際の理想的な脚色例として挙げられるのが、松本清張の名作ミステリーを原作とする映画『砂の器』である。不要な枝葉を大胆に削ぎ落とし、膨らませるべき核心部分を豊かに描き切ることで、原作の緊張感と奥行きを損なうことなく、むしろ劇的に増幅している。
脚本を手がけた橋本忍は、巨匠・黒澤明と幾度もコンビを組んだ名脚本家だが、黒澤作品以外でも数多くの傑作を世に送り出した、日本映画史に名を刻む人物である。情報処理に卓越した手腕を持ち、説明が冗長になりがちな原作の細部はナレーションや字幕など最小限の手法で整理。一方で、描写に深みを持たせるべき場面は存分に膨らませ、観客の感情に訴える抒情を紡ぎ出す。
特筆すべきは『砂の器』における犯人の過去の描き方だ。原作ではわずか数行にとどめられていた部分を、映画では“脚色”の域を超えたドラマとして展開させ、観る者に深い余韻を残す。この脚本術は、単なる映像化ではなく、再構築による芸術的昇華と呼ぶにふさわしい。
監督・野村芳太郎、脚本・橋本忍、原作・松本清張という“黄金トリオ”が生んだ作品には、『張込み』(1957)、『ゼロの焦点』(1961)、『影の車』(1970)といった傑作が並ぶが、その中でもスケールの壮大さ、情感の豊かさ、サスペンスの緩急において頂点に立つのが『砂の器』だろう。
この物語は繰り返し映像化されてきたが、1974年版を超える作品はいまだ現れていない。橋本忍による脚色の真価は、『日本のいちばん長い日』(1967)や『日本沈没』(1973)といった他の大作でもいかんなく発揮されており、その情報の取捨選択と構成力は、まさに職人芸の極みといえる。