答えではなく問いを残す、“考える映画”

『弟とアンドロイドと僕』(2022)

豊川悦司【Getty Images】
豊川悦司【Getty Images】

監督:阪本順治
脚本:阪本順治
出演:豊川悦司、安藤政信、風祭ゆき、本田博太郎、片山友希、田村泰二郎、山本浩司、吉澤健

【作品内容】

 孤独なロボット工学者・桐生薫(豊川悦司)は、自分そっくりなアンドロイドを造ることで存在の不安を埋めようとしていた。ある日、疎遠だった腹違いの弟(安藤政信)が訪ねてくる。さまざまな人たちが交錯する中、桐生とアンドロイドはある計画を実行に移そうとしていた。

【注目ポイント】

 2022年に公開された映画『弟とアンドロイドと僕』は、阪本順治監督が描く異色の心理劇であり、極めて内省的かつ哲学的な問いを内包した作品だ。

 主人公・桐生薫(豊川悦司)は、ロボット工学者でありながら、自己の存在に深い懐疑を抱えて生きている。右脚に感覚を持てず、鏡の中の自分を信じられない。まるで“半分が不在”のような彼の存在は、言葉よりもむしろ沈黙と動作で語られていく。

 印象的なのは、彼が他人に向かって「僕が見えているか?」と問う場面、そして自らの姿にそっくりなアンドロイドを「僕です」と紹介する瞬間だ。そこには、人間と機械の境界だけでなく、自我の輪郭が曖昧になる恐怖と哀しみが滲んでいる。

 本作では、明確なストーリー展開や説明は最小限に抑えられている。登場するのは、赤いレインコートの少女、古い産婦人科医院だった屋敷、母の自死、そして疎遠だった腹違いの弟――いずれも明確な因果を提示されることなく、観客の前に断片的に現れる。

 だが、それゆえにこそ観客は、桐生の抱える混濁した記憶の中をともに彷徨うことになる。モノローグも極端に少なく、すべては“感じること”によって読み解くしかない。

 曇天の空、陰鬱な洋館、冷たい色調、ほとんど感情を排した登場人物たち。これらのビジュアルと演出が、桐生の閉塞感や内面の分裂を視覚的に浮かび上がらせる。全編を通じて漂う重苦しい空気は、説明ではなく“映像の詩”として語られる。

 本作の最大の特徴は、その“語られなさ”にある。しかしそれは観客を突き放すためではなく、「自己とは何か」という本質的な問いを、ストーリーではなく映画という形式そのものに宿らせた結果である。

 観終えた直後は何が語られたのか掴みきれないかもしれない。だが、ふとした瞬間に胸をよぎる残像のように、この作品は心に沈殿し続ける。明確な答えを拒む代わりに、観る者の中に問いを残す。まさに、“考える映画”である。

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