ホーム » 投稿 » コラム » 失明した娼婦の結末は…? ジャッロ映画『ダークグラス』の評価は? “本のプロ”が魅力を徹底解説【映画と本のモンタージュ】 » Page 3

随所にご都合主義的な展開も…。
監督とジャンルへの信頼が試される映画体験

映画ダークグラスのキャスト陣と監督

殺人鬼から逃げるディアナの車と衝突し大破した車に詰め寄る人々は夜中だというのに不自然に大人数だったが、あきらかに優しさと関心を描いているように感じる。

またディアナと中国人少年チンが殺人鬼から逃げている最中に出会った男二人が、二つ返事で二人を保護しようとするさまなど、普通のホラー映画の見方なら殺人鬼とグルであることを疑ってしまうものの、本作では殺人鬼以外の人々がただただ優しいのである。そして重要なキャラクターとして、失明したディアナと盲導犬ネレアの信頼関係も印象的だ。

しかし、だ。スタイルとして『ダークグラス』はまさに“ジャッロ映画”ではあるものの、他の作品と比べると、映画のテンポを損ねる冗長な残酷描写(といってもそこまでゴアではないが)や、ディアナと逃げている最中に少年とはぐれてしまうといったストーリーのご都合による行動などは、一昔前の作品を観ているかのようである。

そう、80年代の昼時にテレビで放映していたユルい映画のような雰囲気なのである。そんな部分も含めてダリオ・アルジェント作品として楽しむこと、“ジャッロ映画”の雰囲気を
楽しむことが本作の正しい見方ではあるものの、ジャンル映画好きのファンではない者にとってはいささか心優しく見るよりも戸惑いが勝る作品かもしれない。

パンフレットを眺めると、監督への賛辞で満たされている。また、高橋ヨシキ氏や吉本ばなな氏からは、登場人物の優しさ、信頼についての指摘がなされている。もちろんパンフであるからだが、各論者の文章から感じられるのはダリオ・アルジェント監督への深いリスペクトである。『ダークグラス』を楽しめるかどうかは、監督とジャンル映画への信頼と優しさが必要なのかもしれない。

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