「お前は役者に向いている」
胸に刻まれた青山真治監督からの言葉
―――大学では様々な講師から色々なことを教わったと思うのですが、そのなかでも、印象的なエピソードや今でも心に残っている言葉はありますか?
「僕たちの担当講師だったのが、2022年の3月にご逝去された青山真治監督でした。青山さんからの言葉で、現在でも助けられているものはいくつもあります。
向いてないなと思ったり、辞めようと思うことが多々あるのですが、『お前は役者に向いている』と言ってくださったり、卒業後もSNSをチェックしてくださっていて、東京で挫けそうになった時や仕事がない時に『俳優やりたいな』とつぶやいたことに対しても、『お前は俳優だろ』と言葉をかけてくださったり…。
いただいた励ましの言葉が積み重なって、役者を続けていく勇気に繋がっています」
―――お芝居は教えるのも学ぶのも難しいと思いますが、学校ではどのようなことを教わりましたか?
「水上さんは、メソッド演技をはじめとした理論的な部分をわかりやすく教えてくださいました。
青山真治監督や福岡芳穂監督からは芝居の仕方ではなく、映画の中での“出で立ち”を教わりました。実習などで現役の映画監督から演出していただく機会も多く、実践的な授業でした」
―――“出で立ち”は、映画の中で“いかに存在するか”ということですね。スクリーンに映る佐々木さんの“出で立ち”にはとても色気がありますよね。さて、大学3、4年になると就
職活動をする人もいたと思いますが、その頃佐々木さんは何をしていましたか?
「その頃はあまり迷うことなく東京に出て映画の仕事を続けていくと決めていましたね」
―――少し余談めいた質問ですが、東京で最初に住んだ場所はどこでしたか?
「東京都の狛江市に住みました」
―――近くに日活撮影所や角川大映スタジオがありますよね! 最初に出演した映画は吉川鮎太監督『DTILLAND MESSY』だと思いますが、出演の経緯を教えてください。
「鮎太さんは一つ上の先輩でそれまで交流することはあまり無かったのですが、ある時『出演して欲しい』と声を掛けてもらいました」
―――どのような役でしたか?
「変な役でした(笑)。監督がユニークな方なのですが、監督ご自身が放つ個性をダイレクトに反映した作品でした。見た目は普通の人だけど、中身は突飛で特異気質。そんな役柄でした」
―――学校では同世代の監督と作品創りをすることが多かったと思いますが、ご卒業されてからは世代の異なる監督と仕事をする機会も増えたかと思います。アプローチの仕方は変わりますか?
「変わりますね。同世代だと等身大で会話ができるのですが、世代の異なる方々とコミュニケーションをとる場合、その方が手がけた作品を事前にチェックしたり、どういう人生観を持っているのかを注意深く観察するように心がけています」