ホーム » 投稿 » コラム » 日本映画 » 映画史に残る大喧嘩…監督VS役者のガチバトルが生んだ傑作映画5選。共演者ヒヤヒヤの逸話をセレクト » Page 3

日本映画界の黄金コンビは発展的解消か

『蜘蛛巣城』(1957)黒澤明VS 三船敏郎

監督・黒澤明(左)、主演・三船敏郎(右)【Getty Images】
監督黒澤明左主演三船敏郎右Getty Images

上映時間:110分
製作国:日本
監督:黒澤明
原作:ウィリアム・シェイクスピア
脚本:黒澤明、橋本忍
キャスト:三船敏郎、久保明、千秋実、小池朝雄、志村喬、山田五十鈴、木村功

【作品内容】

“世界のクロサワ”こと黒澤明監督がシェイクスピアの「マクベス」を翻案し、日本の戦国時代に置き換え描いた、戦国武将の一大悲劇。能の所作を取り入れた演技とその大掛かりなセット、さらにラストシーンは特撮ではなく、本物の矢を使って撮影された。海外では、『Throne of Blood』のタイトルで公開され、マクベス映画化の最高傑作と評されている。

黒澤明と三船敏郎は、日本映画界の黄金コンビといわれ、コンビを組んだ映画は全16作品で、獲得した映画賞の数はなんと150以上にも上る。『羅生門』(1950)ではベネチア国際映画祭グランプリ、アカデミー賞外国語映画賞を受賞している。

【注目ポイント】

この、昭和の映画界を代表する2人がなぜ、袂を分かつ結果となったのか。まず挙げられる原因の一つは、黒澤のあまりにも行き過ぎた完璧主義だ。騒音を嫌い、東海道新幹線を20分間停車させたエピソードは有名だが、その他にも、エキストラ900人を集めることを前日に指令し、当日になって「200人足りない」と撮影をキャンセル。

また「野生の虎を連れてこい」とリクエストし、スタッフはやっとの思いで野生の子供のトラを捕まえてきたが、黒澤のこだわりのあまり撮影が大幅にずれてしまった結果、撮影期間中に子供のトラが成長してしまったなどといった、とんでもないエピソードには枚挙に暇がない。

その完璧主義は、自らにも向けられ、1971年に自殺未遂騒動を起こした黒澤。ハリウッド映画に押され、日本映画の未来に絶望したのが動機ともいわれている。

片や三船は、黄金コンビを復活させることなく、1997年に鬼籍に入る。当時、病床にあった黒澤は三船の葬儀に参列できず、弔辞は息子の久雄に託された。その中で、感謝の気持ちを綴っている。また、三船の孫・力也によると、不仲説が報じられた後も、手紙のやり取りは続いていたと証言している。

一方で、三船はなぜ、黒澤作品に出なくなったのか。最後の出演作は『赤ひげ』(1965)だが、1962年に「三船プロ」を設立した関係で、経営上、自身が黒澤映画に参加し、長期間にわたる拘束に応えることができなくなったのが原因といわれている。

さらに、ベネチア映画祭で男優賞を2度も獲得し、“世界のミフネ”となったことも影響しているだろう。互いにその存在自体が大きくなりすぎたことによる“コンビの発展的解消”という状況だったといえる。

1 2 3 4 5
error: Content is protected !!