旧友ジョン・ラセターが協力
本作は、ディズニーの子会社であるミラマックス社に譲渡され公開も限定的なものにとどまったため、ディズニーが期待したような成功を収めることはできなかった。ディズニーとスタジオジブリは、袂を分かつまでは行かなかったものの、この一件で米国内でのジブリ作品の公開は遅れるようになった。
実のところ、宮崎監督が新作を発表する際、米国公開の優先交渉権と引き換えに、予算の10%がディズニーから出資されていた。つまり、両者には利害関係があったにもかかわらず、ディズニーは『千と千尋の神隠し』の公開検討に1年以上を使い、公開を先延ばしにしたのだ。
その後、本作は2002年にベルリン映画祭で最高賞の金熊賞を受賞。名誉ある賞を受賞したことで状況は多少好転したものの、それでも説得が必要だった。なお、この説得は、宮崎の旧友でピクサーの創設者であるジョン・ラセターの意向によるもので、詳細は公表されていないものの、宮崎による働きかけがあったという。
ラセターの説得の末、本作は、最終的にラセターが『トイ・ストーリー』(1995)や、『バグズ・ライフ』(1998)などのラセターの社会的信用や、『もののけ姫』に比べ残虐描写が少なかったことなどが幸いし、公開にこぎつけた。しかしディズニーは、それでも本作の公開を懸念しつづけていたようだ。