“怪獣ブーム”の仕掛け人・円谷英二の快進撃
さて、ゴジラ同様、怪獣を語る上で欠かせないキャラクターがいる。ウルトラマンだ。
このキャラクターがはじめてお茶の間に姿を現したのは、ゴジラ誕生から10年余りを経た1966年。子どもたちは、映画でしか見られなかった怪獣たちがテレビに毎週登場する様子に歓喜し、”第一次怪獣ブーム”として社会現象化した。
そして、「ウルトラマン」シリーズを手がけたのが、『ゴジラ』で特撮を担当した”特撮の神様”円谷英二だ。
円谷は、本シリーズで当時世界に2台しかなかったオプティカルプリンター(現像済みの映写フィルムを別のフィルムに焼き付ける合成装置)を使用し、宇宙人から古代生物、ロボット、サイボーグ、妖怪、果ては細菌サイズのモンスターまで、さまざまな怪獣を”製造”。怪獣の歴史に新たなページを加えていった。
そんな円谷の遺伝子は、その後アジアを中心に世界へと散らばっていくことになる。最も有名なのが、タイのチャイヨー・プロダクションだろう。本プロダクションの創業者ソムポート・セーンドゥアンチャーイは日本に留学して円谷のもとで特撮技術を学んだ人物で、1973年にはタイ初の特撮映画『ターティエン』を制作。翌年には円谷プロと共同で『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』を制作している。
また、香港を代表する映画会社ショウ・ブラザーズも円谷の一番弟子・有川貞昌を招へいし『北京原人の逆襲』(1977)を製作。『キング・コング』への対抗作と言われている本作にも日本人スタッフが多数関わっている。