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人間の本性を無視したラース・フォン・トリアーの怪作

『ドッグヴィル』(2003)

かもめんたる・う大
写真Wakaco

ーーー続いては、ニコール・キッドマン主演の怪作ですね。

「まさかの、舞台演劇そのものを映像にしており、こんな映画があるんだ!という驚きもあり、知ることがよかった作品です」

ーーーとても、興味深いです。

「映画や舞台、エンターテイメント何でもそうですけど、これって小説で読んだ方が面白そうだなと感じさせたら、もう負けだと思うんですよ。この映画は、舞台上にテープなどの仕切りがあって、『こっちは家、こっちは別の場所』といった構造になっているんです。

最初は、なんか気取った映画だなと思っていたんですけど、第1章、第2章とチャプターが入り、語り部役も現れ、物語が進んでいくんです。小さい村の中で起こる話なんですが、村人たちがお互い監視し合っている中に、1人の女性が迷い込んでくる。そして、凄惨な目に合っていくという。

ーーー色んな意味で、斬新すぎますね。

「キャラクター同士が、仕切りを介して、その瞬間瞬間に、やっていることがバラバラなわけですよ。 こっちでは、トイレをしてる時に、こっちの人は朝ごはん食べていたり。

その距離感が、絶妙に面白くて。で、それで、この後、『別の人たちはセックスしているというシーンがあったら、めっちゃ面白いな』って思っていたんす。そしたら、ちゃんとそんなシーンがあって(笑)」

ーーー期待を裏切らず(笑)。

「今作を手がけたラース・フォン・トリアー監督の映画は、大抵面白いですね」

ーーーう大さんは劇団を主催もしていますが、そういった映画を撮りたいと思いますか?

「いや、この作品の息苦しさというのを、例えば僕が舞台で 描こうとしても、無理だと思いますし、映画を撮るなら、普通に撮りたいですね(笑)。ラース・フォン・トリアー監督は、よっぽど、そうじゃなきゃいけない状況だったり、アイディアの結果がこの作品だったんだと思うんですよ。

ひょっとしたら、単に予算的なことかもしれないし。すごく 安上がりだったんじゃないですかね(笑)。だから、そういう手もあるかもなとは、ちょっと思いましたけど」

ーーーなるほど。

あと、この映画、結構重厚な感じで始まるんですが、夜に観始めてちょっと眠かったのもあり、なんか感じるものがなくて、途中で観るのを止めたんです。でも、翌日のお昼に観たら、めちゃくちゃ入ってきたんです。

たった、この半日の違いで、受け取り方が変わるんだなあと。そこからは、もう正座しながら観ていました(笑)」

ーーー先ほどの観るタイミングに通じますね。

「本当に。他の映画でも、導入部のつかみとか、見逃している可能性もあるんですよね。その時の自分のコンディションだったり、 ちょうど見始めた時に、なんか返さなきゃいけないメールを返して見逃していたとか(笑)」

ーーー脚本家目線でも、やはり秀逸な映画でしたか?

「そうですね。職業病的にも勉強のつもりでも観ていたとも思いますし、鑑賞しながら、ストーリーの予想立てをしてしまうんですよね。そこで、予想の斜め上を行ってくれるのが、1番気持ちがいい。そんな作品ですね」

ーーーさすがの、クリエイター目線ですね。

「いえいえ、みんな求めているのはそこだと思いますよ。ただ、その斜め上を行くことを考えるのが、当然、1番難しい気がするんですよね。先を読まれるということが、それこそ作り手としては、1番面白くないわけですから」

ーーーう大さんの演劇は、斜め上以上の展開を感じられます。しかも、なぜか最後に泣けるという(笑)。

「ありがとうございます! 僕は演劇、お笑いでは、あまり人がやっていない笑わせる表現を探っています。得に演劇に関してはあまり人がやってない 感動のさせ方を考えててはいますね」

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