ディズニーの歴史が物語るアカデミー作品賞未受賞の理由とは
ディズニーは1923年からオリジナルの短編映画を制作している。そんなディズニーが所有する映画製作企業ウォルト・ディズニー・ピクチャーズは、独自の配給会社として動くのが他社に比べて遅かった。
ディズニーが自社作品の配給をスタートさせたのは1953年のことだ。しかしその頃には既にユニバーサルや、RKOピクチャーズなど他のスタジオが劇場公開用作品を扱っており、ユニバーサル・スタジオに関して言えば、ディズニーの映画配給よりも40年以上も前となる1910年代から映画配給をスタートさせている。
また、1920年代から1960年代までの間、最大手スタジオ(RKOのような今はなきレーベルを含む)は、容易くオスカーを受賞するのが普通であった。当時は独立系映画会社の数が圧倒的に少数であったため、大手スタジオにとって競争相手となるスタジオが存在せず、オスカーの取り合いになっていた。
そのため、昔から映画配給を行い、先に作品賞を受賞していたスタジオが作品賞に選ばれる映画作品の概念を作り出し、オスカー受賞競走を続けた。その後徐々に、オライオン・ピクチャーズやドリームワークスSKGのようなアメリカ中で新しく設立された小さな会社たちが作品賞部門を独占することとなる。
つまりディズニーが実写映画の自主配給に乗り出した頃には、大手の映画スタジオが自動的に作品賞部門で受賞できるような時代は既に幕を閉じていたのだ。
そんな1950年代は、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズが実写映画の製作を開始した時期でもある。それ以前の15年間は、映画『ファンタジア』(1940)や、映画『バンビ』(1942)のような作品を生み出してはいたが、これらのディズニー映画は、長編アニメーション作品であるという理由だけで、作品賞ノミネートから外されていた。
しかしながら人気キャラクターを毎度生み出し、子供から大人までの老若男女、全ての世代を楽しませるその作風とテーマはファミリー層に非常に人気であった。そのため、作品賞は逃すものの、代わりに他の部門を独占し始める。
ディズニーは1990年代にはオリジナル楽曲賞部門を独占し(『ディック・トレイシー』(1990)から『ターザン』(1999)まで)、2002年より新設されて以来、長編アニメーション賞を常勝するようになった。
しかし、作品賞を授与する際には見過ごされがちな作品となってしまっていた。