ベールに包まれた”ガッキー”の実態
先ほど「トーク番組やバラエティで見せる顔は少し違う」と記述したが、新垣がドラマ以外のテレビ番組に出演することは滅多にない。ほとんどの人が“ガッキー”という愛称で呼ぶように、親しみやすい雰囲気を持つ新垣だが、プライベートは謎が多くベールに包まれている。
かくいう筆者も10代の頃、新垣の大ファンで写真集やCD(新垣はかつて歌手としても活動していた)を買いあさり、彼女が出演する番組は全て録画していたが、少しも実態が掴めた気がしなかった。だからこそ、憧ればかりが募っていったのだが。
そんな筆者が感動したのは、『獣になれない私たち』(日本テレビ系、2018)で“市井の女性”を演じる新垣を見た時だ。いつも張り付いたような笑顔を浮かべて、上司の無茶ぶりに応え、部下のミスもフォローし、元カノと同棲している彼氏に文句を言うことさえできなければ、別れを告げることもできない。
死にたいくらい不幸なわけじゃないけど、迫り来る電車に思わず飛び込みそうになる主人公・深海晶に扮する新垣は、“私”だった。
見た目はもちろん全然違うし、30歳になったばかりの新垣は10代の頃から変わらずキュートだったけれど、芸能界という煌びやかな世界とは無縁の女性がそこにいた。
晶はみんなから好かれる人当たりのいい女性で、一見すると、いつものガッキーなのだ。だけど、その笑顔は痛々しく、まるで不幸を背負って歩いているようなオーラがある。
あの遠い存在だった憧れのガッキーが佇まいだけで普通の人に擬態している姿にいたく感動し、晶が真逆なようで実は似た者同士の会計士・根元恒星(松田龍平)とぶつかりながら少しずつ自分らしさを手に入れていく過程を自分ごとのように固唾をのんで見守った。