”家族”に血のつながりは本当に重要?
『西園寺さんは家事をしない』の場合、楠見くんはルカのお父さんをずっとやってきたため、ルカが西園寺さんより楠見くんの方に懐いているのは当たり前。もしも、この先、西園寺さんと楠見くんの間に恋が芽生えるようなことがあっても、それは最初からわかっているので関係値の差に悩むことはないだろう。
ただ、『海のはじまり』に関しては、夏も海の存在を最近まで知らなかった。そのため、海との関係性のスタートは夏も弥生もほぼ同時。にもかかわらず、水季が夏のことをいろいろと言い聞かせていたこともあり、海はすっかり夏に懐いている。そこも、弥生からしたら苦しいポイントだろう。
『海のはじまり』と『西園寺さんは家事をしない』、共通して考えさせられるのは、“家族”の定義。婚姻関係を結んでいたら、家族なのか。血がつながっていたら、家族なのか。それとも、一緒に暮らしていれば家族なのか。
『海のはじまり』の夏の母親は離婚後、再婚しており、夏には血のつながりがない父と弟がいる。それでも、長年一緒に暮らしていくうちに、4人の間には家族特有の阿吽の呼吸のようなものが生まれていて、今ではちゃんと家族に見える。夏の弟・大和(木戸大聖)も、弥生に「お母さん元気?」と聞かれたとき、当たり前のように「母も父も元気です!」と答えていた。
ただ、夏と海の関係から「血のつながりがある者同士特有の絆」を感じて、疎外感を抱いてしまった弥生の気持ちも、痛いほどよくわかる。血のつながりがないから、お母さんにはなれない? 逆にいえば、夏のようにずっと会っていなかったとしても、血のつながりがあったらお父さんなのか? 個人的には、水季が大変なときに代わりに海の送り迎えをしてきた津野(池松壮亮)の方が、よっぽど“お父さん”な気がしてしまう。