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熊切和嘉監督に出演を直訴
名作『海炭市叙景』撮影秘話

写真新井章大

―――2010年には熊切和嘉監督の『海炭市叙景』に出演されています。浄水器を売るために、東京からはるばる故郷の北海道までやってきたセールスマンの男、という役柄でした。

「実は脚本を読んだ時に、あの役柄を理解するのに苦しんだのですよ。自分の地元に帰ってきて、父親が路面電車の運転手をしているにもかかわらず、遭遇しそうな場所を歩いている。つまり、父親と遭遇しようが、しまいが彼にとってはどうでもいい。父親に発見されても、『そんなの関係ない』っていうほど、父親との間には深い“断絶”があるわけです。また、浄水器のセールスマンという仕事にも誇りを持っていなくて、ただただ何をしたいのかわかっていない。そんな役でした」

―――三浦さんご自身のパーソナリティとはまったく異なる役柄だったのですね。

「性格的には真逆ですよ! とはいえ、初めは理解できなかったのが、撮影が進むにつれてわかってくる部分もある。自分とは異質の役を演じることで、『もしかしたら自分にもこういう一面があるのかもしれない』と、ある種、自分自身を発見する瞬間があるんですよね。そんな役に巡り合うことは滅多にないんですけど」

―――三浦さんが画面に映っている間、今にも爆発しそうなのが伝わって、ヒリヒリしながら観た記憶があります。

「ラストに僕がフェリーに乗っているだけっていうシーンがありますよね。僕の大好きな、心から信頼している熊切さんの映画で、何も考えずにフェリーから島を見ているのかって言うと、そんなことはなくて、人生を振り返っているんだろうと。そうしたら、カットが掛かった瞬間に、涙が止まらなくなりました。そしたら監督に『どうしたん?』って言われて(笑)。内面の葛藤を露骨に表面に出さないように抑え込んでいたので、カットが掛かった瞬間に爆発したんです」

―――素晴らしいシーンでした。

「フェリーのシーンを撮ったときは、直前まで悪天候で猛吹雪だったんです。助監督さんが『今日は休みにしましょう』と言ってくれている中、熊切監督が『とにかく今日撮りたい』と。すると、船を出した途端に吹雪がピタッと止んで、雲が割れて太陽が出てきたんですよ!そのタイミングたるや凄かった。映画の神様はいた!っていう。現場ではスタッフみんな泣いていましたよ。「素晴らしいものが撮れたー!」って。でも僕は違う理由で泣いていた(笑)」

―――熊切監督とは『蔵六の奇病〜日野日出志怪奇ホラー劇場』(2004)、『青春 金属☆バット』(2006)、『フリージア』(2007)に続き、出演するのは4本目ですね。強い信頼関係が伺えます。

「「海炭市叙景」を撮影していた頃、僕は下北沢に住んでいたんですけど、熊切さんは確か隣駅に住んでいて、偶然下北の駅前でバッタリ会ったんです。監督が呑みに行くって言うので合流したら、『今度こんなん撮る』って準備中だった『海炭市叙景』の話を聞いて…」

―――へえー!

「その場で『出してください』って告げると、『いや、三浦くん、今回君に合う役が無いんだよ』、『ちなみに、どういう役ですか?』、『凄いナイーブな役なんやけど」っていうやり取りをしたんです。当時僕は、暴力的な役柄を演じることが多かったので、熊切さんの中にそういうイメージがあったんでしょう。僕はそれに対し、呉美保監督の『酒井家のしあわせ』を観てくれって伝えたんです』

―――『酒井家のしあわせ』では、ちょっと間の抜けた、親しみやすいキャラクターを演じていましたね。

「俺は暴力的な男しか演じられないような役者じゃないから呼んでくれと、一晩かけて説得しました。その場で『じゃあ考えとくよ』って言ってくれて、ほどなくして正式にオファーしてもらいました」

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