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「いや、正直、予期せぬことに憤りを覚えたんですよ」
入団を拒否した社会人選手とのエピソード

写真:編集部

ーーーここからはドラマの内容に照らし合わせる形で進めていきます。大きな物語のひとつとして、注目選手と同じチームに所属しているがために、目立たないながらも将来性を見込まれてプロ入りする選手のストーリーが描かれています。中田さんはコンバートを含めた、その選手の将来像をどこまで考えていましたか。

「最初に想定するのは、いまのチームの現有戦力、各ポジションのレギュラーと比較して、試合に出られるかどうか。ルーキーでも出場できるだけのハートの強さを持っている点も含めて考えます。もちろん、レギュラーになれるかは別の話ですよ。いまのチームの同じポジションにすごい選手がいれば、いくらなんでも競争させるのは厳しい。そのあたりは監督にも相談しますね。

星野(仙一)さんが指揮を執られていた当時なら、立浪(和義/1987年ドラフト1位/前・中日ドラゴンズ監督)がそうでしたね。宇野(勝)というベストナインにも選ばれるような素晴らしい選手がショートを守っていて、立浪にどれほど能力があってもちょっと難しいんじゃないか、と。

そういう話をしているうちに星野さんから、将来を考えて宇野はサードにコンバートする、と。つまり最初から立浪をショートで使う。持っている力さえ出せれば戦力になる。そういう選手であれば、たとえ高校生であっても将来性よりも現状を優先するという判断です」

ーーーそうして若くして大成していく。

「本当に力のある選手は、ある程度試合に出れば自分の色を出せるんですよ。誰かに似るわけでもなく、自然と若手の見本にもなっていきますよね。もちろん、ほんのひと握りですけど。だから先を想像するよりも、まずはいま持っている力を出しきれる選手かどうか。それさえできれば1年目でも戦力になってくれる。そこを見ますよね」

ーーーふたつ目の大きなストーリーが、下位指名に納得がいかず入団を拒否した社会人選手と担当スカウトの裏側を描いたものです。似たようなご経験はありますか。

「ありますね。住友金属にいた森田幸一は会社側も問題ないということで、5位で指名しました(1990年ドラフト)。これは前年の大学を出て2年目で解禁の年に森田は会社に黙って他球団の入団テストを受けに行っていたんです。

その話が私の耳に入ってきたので「どうしてもプロに行きたいのであれば、うちで指名しますよ」と会社に伝えに行きました。その返事が「こういう事があって今回は会社に残留させますので、あらためて来年指名していただききたい」と。

ところが実際に指名すると、本人が拒否した。『結婚したこともあり、去年と今年は違います。去年はどうしてもプロに行きたかったけれど、いまはこのチーム(住友金属)に骨を埋めたい』と言われてしまいまして…。こっちは喜んで入ってもらえると思っていましたから」

ーーー話が違う、と。

「時間をかけて交渉して、最終的には評価額を上げて入ってもらったんですけどね。会社から指名してほしいと聞いていたので契約金は低く抑えてもくるだろう、と、たかをくくっていたら本人の意思が固かった」

ーーー金銭面以外での口説き文句は?

「いや、正直、腹が立ったんですよ。本音で言うと、指名してやったのにと思っていたので。こちらも高飛車に出てしまいました。そこも森田は気にくわなかった。そういうタイプなんですよ。やはり彼も反骨心のある男でした。

入団交渉がうまくいっていないのが監督の耳にも入って、僕は『本人がこの金額ではこないと言うので、もういいです』と言ったんです。すると星野さんは、『せっかく指名した選手なんだから、少しは本人の希望も聞いてやれ』と。

だから金額を上げて、本人には『1年目から死ぬ気でやれよ』と。まあ、脅しです(笑)。でも森田は頑張りましたね。ルーキーの年に抑え投手で新人王を獲りました(50試合10勝3敗17セーブ、防御率3.03)。体が小さかったので長続きはしませんでしたが、ボールは速かったですね」

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