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オイルショックでキャバレー人気低迷、総合ビルへ

味園ビル2F。写真:田中稲
味園ビル2F。写真:田中稲

 しかし1973年、第一次オイルショックが起き、高度経済成長が終わりを告げる。不況の中、ダンスフロアやステージを必要とするキャバレーは、そのおおがかりな設備があだとなり、維持に苦しむように。さらにカラオケが徐々に普及し、時代に合わず窮地に立たされる。

 しかし、オーナーの志井は、この時代の流れも先読みしていた。1972年から数年かけて改装に打って出ていたのである。それは「レジャー総合ビル」への道! 

 彼は次のような工事を行った。キャバレー「ユニバース」は地下へ移動。2階から4階の吹き抜けだったのを一階ごとに床を貼り、2階にスナック街を作った。ホテルの客室の内装は、一部屋ずつイメージが違う内装にしているという凝りようだった。サウナと大浴場も造り、サウナは鍾乳洞っぽい雰囲気に仕上げた。

 5Fの「宴会天国味園」はそのまま。ここは500人を収容でき、バブル期は接待の場としても喜ばれ、毎日3,000人もの客でにぎわったという。

 飲んでヘロヘロになってもホテルに泊まり、大浴場でのんびり。飲み足りなくても2階にいけばスナックが併設しているのだから、おおいに楽しめたことだろう。

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