セリフに込められた三谷幸喜のメッセージに涙…
テレビシリーズの実質的な最終回
「再会(古い友人に会う)」VS安斎亨(津川雅彦)
放送:1999年5月11日
演出:河野圭太
出演:田村正和、津川雅彦、西村雅彦、石井正則、三浦理恵子、細川茂樹
【作品内容】
小学校の同級生で、小説家として活躍する安斎亨(津川雅彦)から別荘に正体を受けた古畑たち。安斎は、古畑をかつてのあだ名「ニン」と親しげに呼びながら、妻の香織、そして担当編集者の斎藤らとともに、楽しい一夜を過ごす。しかし、実のところ古畑は、学生時代に安斎とさほど親しかったわけではなく、突然の招待に疑問を持っていた。
翌朝、離れにある古畑の書斎に足を運んだ古畑は、部屋の窓から香織と斎藤の不倫現場を目撃してしまう。「今にはじまったことではない」とつぶやく安斎。安斎が古畑を呼んだ本当の目的とは…?
【注目ポイント】
作中で古畑は、かねてより一つの願いを語っていた。それは「事件を未然に阻止する」ということだ。そうした意味で本話は、古畑がはじめて自身の願いを叶えたエピソードだといえるだろう。
本話のゲストスターは、三谷作品への出演も多かった津川雅彦。放送自体は第3シリーズの第5話だが、古畑自身解決編前の暗転シーンで「最終回に持っていきたかったエピソード」と述べているように、第3シリーズの実質的なラストエピソードとみなされることが多い。
「ニューヨークでの出来事」同様、古畑シリーズ随一の異色回とみなされることが多い本話。その最大の理由は、「犯行現場に古畑たちが居合わせている」ということに尽きるだろう。古畑たちがカラオケやゲームに興じる裏で、虎視眈々と犯行の機会をうかがう安斎。物語は、安斎のターゲットが誰なのかがフックとなって進んでいく。
しかし、本話の最大の見どころはここからだ。犯行のにおいを嗅ぎつけた古畑は、睡眠薬で熟睡した部下たちを寝かせたままひとり安斎の書斎がある離れに向かう。そして、今まさに拳銃に手をかけようとしている安斎に「犯行」をやめるように説得する。シリーズ史上最高の名言が古畑の口から語られるのは、このシーンだ。
「よろしいですか?よろしいですか?たとえ、たとえですね、明日死ぬとしても、やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか?」
察しの良い人はお気づきだろう。安斎のターゲットとは、実は「安斎自身」だった。若き妻の不倫に嫌気が差した安斎は、自ら拳銃で命を絶ち、その罪を妻に着せようと画策していたのだ。額に汗をかきながら、恥辱に塗れた余生を送るのは耐えがたい、と言葉を絞り出す安斎と、そんな彼を説得する古畑。日本を代表する名優2人によるこのシーンは、古畑のみならず日本のドラマ史上に残る名シーンであることは間違いないだろう。
そして、まだまだこれからですよ、という古畑の言葉にハッとした安斎は、引き金を戻して古畑に向き直る。
「おれの計画はことごとくしくじった。ただ、一つだけ正解だったことがある。…お前を呼んだことだ。ニン」
本話を語る上で外せない回がある。それは、のちに放送されたスペシャル版「すべて閣下の仕業」(2004)だ。とある国の特命全権大使、黛竹千代閣下(現・二代目松本白鸚)が犯人のこの回では、自身のプライドを守るため、逮捕の前夜に閣下が自ら命を絶つ。この物語に、閣下の盟友の医師役として津川が出演しているのだ。
端役や被害者役が別の役で複数のエピソードに出演することはままあるとはいえ、犯人役を演じたゲストスターが他の作品に出演しているのは津川以外にはいない。なぜ三谷は、よりにもよって犯人役の津川を複数回作品に登場させたのか。あくまで噂だが、ここには、三谷が敬愛する伊丹十三の死が関係していると言われている。
マルチタレントとして、そして映画監督として、八面六臂の活躍を見せた伊丹は、本話の放映の1年半前にマンションから飛び降り自殺を図っている。その死にはさまざまな疑念が囁かれているとはいえ、公の死因は自ら命を絶ったことになっている。
そして、津川といえば、『マルサの女』(1987)や『スーパーの女』(1996)に出演した伊丹作品の常連俳優だ。つまり三谷は、田村に自らを、津川に伊丹を重ねることで、伊丹に言えなかった自身の思いを吐露しているのだ。
この噂の真偽の程は定かではない。ただ、三谷は、自身が司会を務める『情報7daysニュースキャスター』(TBS系列)で、原作との改変問題で自ら命を絶った漫画『セクシー田中さん』の作者、芦原妃名子氏について、自らも「死にたいと思ったことがある」と述べた上で、「僕は、自分が書いたものに対しても責任があるし、これから書き物に対しても、今書いているものにも責任があるから、自殺を踏み止まった」というような趣旨を語っている。
神妙な面持ちで言葉を紡ぐ三谷に、安斎を説得する古畑の姿を重ねるのはやぶさかではないだろう。もしも三谷が、古畑のセリフにかつての心の師への想いを込めていたのだとしたら、先のセリフも重く感じられてくるに違いない。