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転機となったイチローの獲得失敗

写真:編集部

ーーー著書のなかでイチロー選手(1991年ドラフト/オリックス4位)を獲得できなかったことが、のちのドラフト戦略の地元志向を強めたとの記述がありました。

「実はそれ以前、私がスカウトになる前の話ですが、槙原寛己(1981年ドラフト/巨人1位)や工藤公康(1981年ドラフト/西武6位)といった愛知出身の選手を獲れずに、かなり叩かれたようなんです。

イチローの場合は――当時、僕はいちスカウトだったのですが――会議では2位や3位で獲りにいく話が出ていました。僕は中村紀洋(1991年ドラフト/近鉄4位)の担当で、気持ちとしては3位あたりで指名したかったんです。でもイチローを上位で指名すると決まったので、中村を諦めたという経緯がありました。高校生の野手をひとり3位くらいで指名するとの方向性だったので仕方ないな、と。

でも蓋を開けてみると、どの球団も獲りにいかない。その当時の評価が低ければ話は別ですが、少なくともうちは高く評価していた。しかも何回もチャンスがあったにもかかわらず指名しなかった。

だからドラフトが終わったあともずっと気になっていましたが、やはり1年目からすごかった(※打率.366でウエスタン・リーグの首位打者を獲得)。評価していなければ仕方ないで済みますけど、格付けの高い選手、特に地元出身であれば絶対に獲りにいかないといけない、と思わされましたね」

ーーーイチロー選手とは逆に、高校生の段階では指名しないと判断した選手が他球団に入って、のちに大成する姿を見て何度も悔しい思いをされたそうですが、特に高校生の見極めは難しいものですか。

「本音で言うと、欲しい選手は毎年かなりの数がいます。私ひとりですべて取り仕切れるのなら問題ありません。でも当然そうはいかない。他にもスカウトがいて、会議でどちらの選手が上か下かと意見を戦わせるときに、本当に自信があれば言い張れます。

でも、いまひとつ確証が持てない場合は少し折れるというのか、遠慮してしまう場合もあって…。その選手が他球団で活躍すると、あのとき強く言っておけばという悔しさはどうしても出てきます。

ただ、そういう選手は指名された球団と縁があったということですから、うちに入ってどうなっていたか。こればかりはわかりません。誰もが認めるような特別な選手は別として、ほとんどの選手はそのチームと馬が合って、いいコーチと巡り合って順調に成長したのだと思います。

うちに来ても、もしかしたらコーチと合わないせいで伸び悩んだかもしれない。だから、他球団で著しく伸びた選手に対しては、そのチームに行ってよかったなと思うしかないですね」

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