「男装の麗人」という言葉が広まった1930年代
寅子が日本国憲法を見て笑顔を取り戻したのはホッとした。が、気になるのが、寅子の学友の中で、異彩を放っていた男装の山田よね(土居志央梨)の安否だ。
寅子が初対面で「かっこいい! 水の江瀧子みたい」と歓声を上げていたが、わかる。私もよねさんのファンである。口は悪いし性格も極端だが、ツンデレ具合がたまらない。
当時、よねさんのように男装をし、社会で活躍する人たちがいた。「男は男らしく、女は女らしく」という時代であったが、ちょうど寅子が明律大学に通っていた1930年代は、日本で「男装の麗人」という言葉が広まったころだったのだ。
その火付け役になった一人こそ、寅子のセリフにも出てくる、松竹少女歌劇団の水の江瀧子。日本の少女歌劇史上初めて断髪した男役で、ターキーの愛称ですさまじい人気を誇っていた。のちに彼女は映画プロデューサーとなり、石原裕次郎を見出したのは有名な話。自分がスターだっただけではなく、スターを見る目まであったのだ。
そしてもう一人は、「東洋のマタハリ」と言われた軍人・川島芳子。彼女は16歳でピストル自殺未遂を起こし、そのまま断髪(理由は義父に襲われたショックからなど、諸説あり)。そのときしたためた「女を捨てる」という決意文書が日本の新聞に載り、注目された。
そのセンセーショナルさに加え、芳子は容姿端麗、さらに清朝皇室出身だった。非常にドラマチックな要素が集まっていたこともあり、アイドル的な人気を誇ったのだった。戦時中は日本軍のスパイとして諜報活動に従事し、戦後まもなくして中華民国政府により、銃殺刑に処されるという波乱の人生を送っている。